5月30日:「荒地の夢」
(夢)「荒地の夢」
何があったのかは知らないが、僕たちは廃墟の中で生活していた。食料のことで僕たちの間に衝突があった。何人かのグループは新天地を探しに僕たちの一団と決別した。彼らは食糧を獲得するために場所を変える生き方を選択したのだが、僕たちは食糧を作る生き方を選択していた。
場面が変わって、僕は自動車の助手席に座っている。運転しているのは父のようでそうではなかったような、はっきりしない男性だった。荒地を車で走らせている。所々で工事が行われ、建築がなされようとしていた。僕は「この辺り、どんなふうに変わっちゃうんだろうね」と言った。運転手が何か答えたかははっきりしない。
泥濘の道を走る。運転手が、「しまった、道を間違えた」と言う。僕たちは来た道を戻って、別ルートを探す。コンクリートの道路が見えるので、そちらに入る。そのまま車を走らせると、その道はある寺院のような建物に通じているだけで、その先へは進めなかった。また、道を引き返し、枝道に入る。その後も、行き止まりだったり、道が壊れている箇所にぶつかり、何度か往復しながら、どうにか通じる道を探す。
ようやく人が住んでいる場所が見えてくる。この辺りは破損がすくなく、街並みは損なわれていなかったが、人は一人もいない。踏切を超え、酒屋の看板が出ていて、その向こうにマンションがある。僕はそこを知っていて、「ここに昔、K君が住んでいたんだ」という話をすると、運転手もK君を知っていた。
それから、どういうわけか、僕は車を降りて、そこからバイクで向かうことにした。バイクを走らせる。免許は持っていないけれど、誰にも咎められない。ここでも、僕は通行不可の道に出くわし、何回か往復しながら、道を探す。
生活感の漂う場所に出た。質素な街並みが見える。女子高校生たちが登校している。僕は無免許運転だから危ないと思い、バイクを押して歩く。高校生の一団、ケンカしている男性たち、カフェのテラスに座る女性、そうした人たちを見たのを覚えている。
そうして、最終的に行き着いたのは、農園だった。広大な農場で、まだ実りはなかったが、耕され、植えられていた。
(連想と感想)
一昨日の激しい孤独感が、廃墟や荒れ地のイメージとして感じられる。
最初に現れるテーマは食糧を巡っての生き方に関することである。僕は「農耕型」の生き方のグループに属する。「狩猟型」生き方グループは決別する。現実の僕は「農耕型」の生き方はしていないし、どちらかと言えば苦手な生き方である。夢では僕はそちらの方を選んでいるのだが、今までしてこなかった生き方を同化しようとしているのかもしれない。
車の場面。廃墟や荒れ地、泥濘をいくつも見た。一方で、復旧の工事や建築の痕跡も見られた。荒涼とした腐敗の地において、なお新しいものが生み出されつつあるのだと思う。しかし、それらはまだ着手されたばかりといった感じだ。
通行不可の道を行きつ戻りつする。これは前回の夢と同じような状況だ。来た道を戻って、道を探すのだが、今回の夢では、それが通行不可のために道を探すということになっている。つまり、この引き返しが、自分の意志によるものではなく、状況の行き止まりのために生じているという違いである。さらに今回のこの引き返しの連続は、前回の夢以上に切実で、切羽詰っている感じに満ち溢れている。
そんな中で、僕は友達のK君のことを思い出している。荒地や廃墟から、かつて人が住んでいた場所に出てきたわけである。その、「かつて多くの人が住んでいた場所」は、人の姿こそ見られないが、決して破壊されているわけではなく、荒れているわけでもなかった。そこは無傷なのだ。「かつて人が住んでいた場所」とは何だろうか。僕にはそれが「過去」であるように感じられている。そこは無人だが、荒らされていないのだ。
やがて、人の住む町に出てくる。都会というほどではないが、やや田舎めいた街並みだった。通学途中だろうか、高校生たちの集団とすれ違う。つまり「若さ」だ。その他に、ケンカしている男性たち(闘争、エネルギー)とテラスでくつろぐ女性(平穏、慰労)などの人たちを見かける。どれも僕のなにかしらの内的存在なのだろう。
最終的に行き着いたのは、農園だった。アメリカの大農場のように、広い農地が目の前に開けていて、全面に渡って耕されていて、よく手入れされていた。収穫時期にはまだまだ間がありそうだが、すでに芽を出しているのが見えた。
実るまでにはまだ時間がかかりそうだが、それは土壌にしっかり根付いており、小さいながらも芽を出しているのだ。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)