5月28日(日):この一週間
日付は28日だけれど、本当は29日の朝にこれを書いている。深夜勤務明けだ。
この一週間のことを記録に残しておこうか。と言っても、これと言って書き残すほどのものもないか。
裁判所が裁判の記録を処分したということが話題になっている。何人かの人からその話題を振られた。僕は何とも分からないとしか答えない。
ところで、ああいう記録は誰に所属するものだろうか。そこを押さえておかないと議論が変な方向に向かっていきそうな気がする。
刑事事件の裁判は国がするものである。だからその記録も国に属するものではないかと僕なんかは思うのだ。従って、裁判の記録を処分したからといって、裁判所が謝罪することはないのである。国が謝罪しなければならないのではないかという気がするのである。もっとも、処分の詳しい経緯を僕は知らないので何とも言えないのであるが。
それに、僕が不思議に思うのは、事件にも優劣があるということだ。記録を残しておく事件とそうでない事件とがあるかのようだ。僕はそこにも疑問を覚える。
確かに、社会に衝撃を与えたような事件があるのは事実だ。だからといって、その事件だけを特別視するのもおかしいと僕は思うのである。どんな小さな事件であっても、そこには被害者がいるのであり、当事者にとっては小さな事件では済まされないはずなのである。そういう特別視にどこか差別的なニュアンスを覚えるのは僕だけだろうか。
とは言え、10年前に衝撃的だった事件は、現代では当たり前になっている場合もある。少年犯罪は昔に比べて衝撃が減少しているのではないかと思う。もはや少年が事件を起こしても、僕たちは驚かなくなっているのではないだろうか。テロのような事件も然りである。特別な事件なんてあり得ないのではないかとも思う。
今までに類を見ないような事件が発生する。それは事件が特別なのではなく、我々のパーソナリティの変化によるものだ。そして、それが特別なことではなくなっていく。つまり、そういう事件に「慣れて」しまうのだ。それから新種の事件が発生したりするのだけれど、それは我々のパーソナリティがさらに変化してきたことを意味するのだと思う。
特殊な事件を生み出すのも、所詮は我々なのだ。
それはさておき、この一週間はバイトの方の動きが目まぐるしかった。来月からセブンが一日増える。ローソンの方も動いている。来月からどんなスケジュールになるか、僕自身見えていない状態だ。ある程度、スケジュールが固定されれば予定もつけやすくなるのだけれど、当分は変動が多そうだ。
水曜日(24日)は高槻で終日過ごす。サイト作業はさほどではないが、勉強とか本を読んで過ごした。本を読めるのが幸せだとも思った。
夜は、もう何年も会ってない人と会った。彼のバーに久しぶりに足を踏み入れる。彼ともゆっくり話をしたかったが、自我漏洩している女客が来て、彼女に辟易して僕は店を出る。
木曜日(25日)は深夜勤務だ。こちらはセブンの方だ。長年勤めていたバイトの人がお辞めになられるのだそうだ。それで来月から人手不足になっているのか。この日の勤務は妙にしんどかった。体調がよろしくないのだ。エンジンがかかるまでにだいぶん時間を要した。とりあえず、朝までの勤務はこなした。
金曜日(26日)は外回りをした。深夜勤務明けに高槻に来て、いくつか銀行等を回った。その足で、どういうわけか梅田に行きたくなった。2020年の初頭以来、つまりコロナ以来、久しぶりに梅田に出てみることにした。
梅田に行くといっても特に目的はない。梅田駅に着いて、古書店街に行くことにした。茶屋町口出口に出る。あれ、古書店街がないぞ、と思う。ネットで調べる。そうだった、場所が移転したのだった。移転したのはコロナ前のことなのに、僕はすっかり忘れていて、昔の習慣でそこに行ってしまったのだ。
何軒かの古書店に入る。本を物色する。特に読みたいものとか欲しいものも無い。ヴァイツゼッカーの『ゲシュタルトクライス』は最後まで悩んだが、結局、この日は買わずである。もし、今度ここに来た時に、まだそれがあれば買おうと思った。再会できればその本とは縁があるということにしよう。
梅田に来ても、何も買わず。昔よく行っていた串カツ屋に入ってみる。ほほう、値上がりしとるなあ。まあ、しょうがないのか。食材も値上がりしているのだから。ビール一杯と串カツを4本ほど食して終了。なんとなく懐かしさから入ってみたものの、入ってみたらそれ以上のものはなかった。
ついでに、その近所の大衆居酒屋も覗いてみる。ここも一時期よく通ったものだった。店の雰囲気は昔のまま。ただ、僕の方が昔とは変わってしまった。そういう雰囲気も楽しめなくなっている。
東通り商店街の方まで足を延ばしてみる。この辺りは呑み屋街だ。こんな呑み屋だらけの真ん中にセブンイレブンがある。深夜もきっと賑やかだろう。バイトしようかな、などとも思った。
まあ、歩いていて、完全な浦島太郎状態だ。以前は確かここにこんな店があったなとか、おぼろげな記憶を頼りに歩いていたが、どこがどうだったかすっかり忘れてしもうた。おまけに、地理にも疎くなって、この通りをこう行けばここに出るはずだといった当ても外れる始末だ。
何も面白くない。かつて、ここは楽しい場所だったんだけれど、今はなんの楽しみも魅力も感じなくなっている。呑むなら高槻でも十分だ。腐った気持ちで帰路に就く。
もとい。帰宅前に中古CD屋に入った。規模の大きい店だ。何気なく入った。ルー・ドナルドソンの『アリゲーター・ブーガルー』が安かったので衝動買いしてしまった。帰宅後、視聴する。今日の掘り出し物はこれだけだった。
翌、土曜日は少しばかり忙しい一日となった。土曜日の朝から火曜日の午前まで、まあまあ予定が詰まった。いいさ、何が来てもこなしてみせるさ、とそんな気持ちで臨む。
ルー・ドナのアルバムがいいなあ。予定の合間を縫って、三回も聴いた。
夜はバイトだ。ローソンの方だ。一週間ほど間が空いたので、緊張した。勤務時間が近づくほどタバコの本数が増えた。圧縮すると、僕のコンビニバイト歴も10年になるのだけれど、それでもこんなに緊張してしまうのだ。僕もなかなかの緊張屋だ。
と、まあ、こんな感じで一週間を過ごしたが、何をやってるのやらだ。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)