5月22日:治る人、治らない人 

5月22日(月):治る人、治らない人 

 

 今週はそれなりに忙しい週になりそうだ。月末も近いし、その作業も予定に入ってくる。 

執筆の方は遅々として進まず。今日の夕方からまとまった時間が取れそうなので、それを執筆に充てようかと計画していたが、急遽、新規のクライアントを受け付けることになった。 

 新規のクライアントはお見えになられたが、まあ、見込みがなさそうである。経験を積むとある程度分かる部分がある。 

 

 実は、書籍のテーマもそれに関することである。カウンセリングや心理療法を受けて、「治る人」と「治らない人」とが現れる。僕には疑問だった。どうしてある人は治り、別の人は治らないのか。 

 この時、治らないのは病気の種類や重さといった観点から説明されるか、治療者の技術から説明されることが多いのであるが、僕は、はっきり言って、クライアントのパーソナリティ要因の方が大きいと考えている。その要因はカウンセリングの場面でクライアントが見せるものである。 

 このことは、つまり、治る人と治らない人とでは、まったく違ったことをやり、まったく違った認識をするということである。治らない人には特有の言動や認知があり、治る人はそれとは違った言動や認知をするということである。 

 しかし、こういう物言いは誤解を招く。治らない人は、治る前に、治る人になっていく必要がある。人は変わっていくものである。だから、現在の一時点におけるその人を切り取って、この人は治るとか治らないなどと断定することはできない。症状や病気が治る以前に、その人が治る人間になること、そこに最初の目標を設定しようという提言である。 

 そういうテーマで執筆をしているのであるが、詳しくは出版されてからにしよう。それまではあまり情報開示しないでおこう。 

 

 今日のクライアントは、僕は好きになれそうな人ではあったが、残念なことに、「治らない人」が典型的に示す言動をいくつもされていた。その点で、見込みが薄いと僕は感じるわけだ。まあ、その辺りのことはクライアント個人の事柄に触れることになるので、これ以上詳述するのはよそう。 

 やるせないのは、僕にはその人の言動が「治らない人」のものであるように見えていても、それを伝えられないということだ。「それをやる人は治らない」と伝えたところで、クライアントの不安を高めるか、却ってクライアントの敵対心を掻き立ててしまいそうだ。ひどい場合には、「クライアントの不安を煽って儲けようとしている」などと根も葉もない批判をされるかもしれない。 

 もし、そういう批判をする人がいるとしても、その人は悪くない。ただ無知なだけである。心に関して、僕たちはあまりにも無知だ。その人が無知なのは、その人に責任があるわけではない。僕もそういう勉強をしていなければ同様だっただろう。学校でも、その後の人生でも、僕たちは心について、あるいは自分自身について、学ぶ機会を持たないのである。心の病だけが唯一その機会となるのであるが、その機会を活用できる人も少ない。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

 

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