5月20日:核廃絶の空虚 

5月20日(土):核廃絶の空虚 

 

 広島でG7サミットが開催されている。今朝からニュースはその話題でもちきりだ。今回のサミットは核のない世界の実現を一つのテーマとして掲げている。それはそれでけっこうなことである。 

 核兵器の使用に反対する人も多いだろう。しかし、外国が攻めてきて、自分たちの国が滅びそうであるとか、その国民が全滅しそうだとか、そういう極限状況に追い込まれてしまうと、核使用に賛同する人が増えることだろうと思う。平和時で核反対派の人たちが極限状況時では核賛成派に寝返るだろうと僕は思う。核反対派を貫徹するとは、自分たちが滅んでも核を使用しないということだ。核を使用するくらいなら自分たちの全滅を選ぶということなのだ。正直に言う。僕はそれを選べない。 

 従って、核兵器のない世界の実現ではなく、戦争のない世界の実現でなければならないのである。ところがである。ロシアとウクライナの戦争は続いているのだ。諸外国が尽力してもその戦争を終結させることができないでいるのだ。言い換えると、一旦戦争が始まったら、諸外国はそれを止めることができないわけである。戦争のない世界の実現なんて、夢のまた夢のそのまた夢の夢ような話のように僕には聞こえてしまう。 

 

 まあ、それはそれとして、G7広島サミットを見てると、古めかしい気がしないでもない。被爆体験を体験者から聴くというのもけっこうであるが、被爆後の状況をVRで体験する方がよっぽど説得力があるのではないかという気もする。被爆者の体験をもとに、VRを作ればいいのにと僕は思うのである。VRの技術はそういうところで活用した方がいい。 

 僕たちは何をしているかといえば、被爆者の体験を聞いて、「想像」しているに過ぎない。それが地獄のような状況だと頭では理解していても、それ以上には経験できないことである。VRで作れば、頭の理解からもう少し前へ進むことができるかもしれない。 

 僕がこんなことを考えてもしゃあないか。でも、被爆体験をもとにして、紙芝居作るって、時代錯誤もいいとこだという気持ちにもなる。 

 

 どの戦争にも悲惨がある。原爆一つの悲惨だ。それはそれとして認めるのだけれど、僕はホロコーストの方がより悲惨だと感じている。日本人はアウシュビッツを経験していない。ドイツが同盟国であった故に。だから僕たちはそれを知らない。ちょうど、外国の人が原爆を知らないというのと同じようにである。もし、日本人が原爆の悲惨さを訴えるなら、同じように、他の国の悲惨にも耳を傾けなければならないのではないだろうか。僕はそう思う。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

 

 

 

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