5月15日:やっちまった! 

5月15日(日):やっちまった! 

 

 昨日の朝、膝の具合はまだ良くないけれど、平地なら普通に歩けるくらい回復していた。普通に歩いていたので、ウッカリしていたんだ。普通に階段を上がろうとしてしまったのだ。その瞬間、ズキッと膝に激痛が走った。ああ、やっちまった! 

 水曜日の晩に転倒して、今回、またドジってしまった。しかも、忙しい日に限ってそんな災難を招いてしまう。自分をもっと意識化していないといけないなと思う。 

 

 昨日の土曜日は、そういうわけで痛みを抱えながら仕事をした。 

 今日は、また順調に回復している。もう無理はしないし、痛みが感じられなくても、痛みを忘れないようにしている。 

 昨日とは打って変わって、今日は午後から空き時間がある。サイトの改定作業をついに着手する。100節は揃わないと安心できないのだけど、長引かせるのも良くないと思い、現在60節くらいしか用意できていないにも関わらず、着手した。今日は第1章の2節を公開した。 

 

 夕方、リハビリを兼ねて、歩きに出る。久しぶりに城跡公園に足を踏み入れる。 

 日曜日の夕方っていうのは、なんだかいいなあと思った。親子や家族連れの人たちを何人も見た。 

 城跡公園の池に水鳥がいなかった。親が子供に残念だねということを言っていたけど、その小さな子供は「きっとあの草の裏にいるわ」と言った。僕はたまたま裏手に回ったのだけれど、本当だ、水鳥はそこにいた。大人が思っている以上に子供は物事がよく見えているのかもしれない。 

 城跡公園を出て、その周辺の住宅街を歩く。この辺り、僕は不案内だ。道が狭い上に、斜めに入っている道路のせいか、いろいろ入り組んでいて、よく分からない。もう少し地元のことを知ってもいいかもしれない。 

 

 1時間ほど歩いて、職場に戻り、ブログを書いておこうと思い立ち、こうして書いている。 

 自分の足で立ち、自分の足で歩く、これがいいことだと体験されなければいけないと、そんなふうに思う。大げさに聞こえるかもしれないけど、久しぶりに歩くと、歩けることが素晴らしいと思える。そんな感慨に耽りながらこれを書いている。 

 歩行に限らず、どんなことでも自分の足で立ち、自分の足で歩くということが大切なのだと、今はそう思う。そしてそれがいい体験として体験されることが本当に大事なのだと思う。 

 

 そうそう、ふと、思い出した。 

 昨夜、帰宅すると、母がテレビを見ていた。熊本地震の特番だった。僕は夕食をとりながら、何気なく見ていた。地震が発生して、怪我人が出る。病院で収容するけれど、病院が満床状態で、新たな患者を受け入れることが難しくなっているそうだ。 

 僕はある人を思い出した。その人は阪神大震災を経験したのだ。避難所生活を送って、どうにか日常を取り戻すことができたのだけれど、自分は何も人助けをしなかったと言って自分を責め続けた人だった。 

 昨日のテレビを見て思ったのは、人助けのために無理なことをして怪我でもしたら、それはそれで迷惑なことだということだ。避難所でおとなしくしていても、怪我をして新たな病人にならないということが、それだけで多くの人が助かるということだ。 

 一人が病人になる。その一人のために割かれる人手は相当なものである。医師やスタッフなどは、震災状況では、ただでさえ手一杯になるのだから、新たな病人にならないということが、医療の場ではどれほどの助けとなることか。そして、本当に治療の必要な人たちのために十分なケアが施されるということが本当に大事なことである。 

 何もしないことでも、実は人助けになっていることがたくさんあると思う。阪神大震災を経験したその人は、何かをして二次災害を招くよりも、何もしないことでそれを招かない方がどれだけ人を助けたことになったのか、その辺りのことをよく考えてみればよかったのにと思う。 

 

 まあ、その点は僕も同じだ。ドジなことをして、足を痛めると、クライアントさんが余計に心配してしまう。だからドジな怪我なんかしないということだけで、クライアントが安心するものだ。大丈夫、今日の感じからすると、この膝ももうじき回復しそうだ。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

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