5月14日(水):闘病記―6
ツー(痛風)というやつは、一昔前は「贅沢病」などと呼ばれていたりしたそうだ。これは一部はあてはまるけれど、それ以外はすべて的外れの命名であるように思う。
尿酸の結晶がツーになるわけだけれど、尿酸とは、いわば、摂取した食物から出る老廃物のようなものだ。これは何を食べても多かれ少なかれ出てくる。贅沢なものを食しようと、貧相なものを食しようと、同じように出てくる。その量に差があるかもしれないが、老廃物というものは、何を食べても出てくるものだ。
この老廃物は排出されなければならないのだけれど、尿酸とはその名の通り、大部分は尿によって排出される。尿の出が悪いと、当然、尿酸も出ていかなくなり、体の中に残り続けることになるわけだ。それが、腎臓で濾過されず、血液に入るわけだ。それが血中の尿酸値というやつだ。この値が高くなるとツーの発作が起きるということなのだ。
問題は、と言うよりは、僕が恐れているのは、尿酸が蓄積されていくことではなく、それが出ていかないということの方だ。腎臓が悪くなり、その働きが衰えてしまうことだ。透析とは、腎臓がしてくれている濾過作業を体外で行うことである。透析生活というのは、実際にそういう人を見てきたけど、本当に辛そうだ。一日か二日おきに透析しないといけなくて、それも一日仕事になるそうだ。時間も労力も、費用も、すべてそれに費やされてしまうという。どうか、そうはなりたくないと思う。
ツー自体は、僕にとっては、二次的な問題で、一番心配していることは腎臓の方である。腎臓に働いてもらわないといけないのだ。
酒を断ち、食事制限して、今日で6日目。無事に終了しそうだ。夜、飲酒欲求に襲われるが、耐えた。夕方頃から激しい空腹感を覚える。それも飲酒欲求に影響しているだろう。軽く何かつまもうかと思うが、仕事を控えていたので、それも叶わず。空腹のまま、帰宅するまで我慢する。
帰宅後のご飯の美味しいこと。両親は今日は焼きそばを作って食べたらしい。その残りが小皿に分けて、僕の食卓に置いてある。すごい誘惑だ。激しい誘惑には負けてしまおう。ご飯と漬物、野菜のお浸し、それに少々の焼きそば、それが夕食のメニューとなった。
食事制限していることには二つの理由がある。一つは肥満防止のためだ。経験上、太るとツーの発作が起きやすくなる。僕の個人的な計測では、体重が80キロに達するとツーが出てくる確率が高い。もちろん、そうでなくとも発作が起きるときはあるが、確率的に高いというだけだ。もう一つの理由は、今は溜めるよりも排出することを主眼にしているからだ。蓄積されている老廃物を出すということを中心に考えているからだ。また、これを契機に、食べる量が全体的に減ってくればいいと思っている。
今朝、体重を測ると78キロだった。五日間の断酒、食事制限、さらに二日続けてのウォーキングを経てそれなのだから、発作が起きた時は80キロに達していたかもしれないと思う。
もうマイナス10キロの所でそれが言えたらと思う。つまり、常に60キロ代で、70キロに達すると少し節制しようかなというくらいになるのが当面の目標だ。
体重やカロリーなど、数字はあくまでも目安のようなものとして考える方がいいと僕は思っている。あまりそれを絶対視しない方がいいと。だから肥満の上限も一日のカロリー摂取量の上限も、設定するのはいいけれど、あまりそれに囚われすぎないようにしようとも思う。数字よりも僕自身の実感を大切にしてやっていこうと思う。
夕食後は静かに本を読んで過ごす。軽い読み物がいいなと思い、推理小説系のものを選ぶ。
角田喜久雄の「お小夜悲願」に決める。角田喜久雄と言って、知らない人の方が多いだろうと思うけれど、日本の探偵小説の礎を築いた人たちの一人だ。乱歩と同期デビュー組の一人だ。この人は、現代もの(と言っても大正から昭和初期だが)の推理小説でデビューし、それはそれで面白かったのだけれど、後に時代ものを書くようになる。僕はすっかりこちらの時代ものの方に魅入られてしまった。
時代小説が苦手な僕が珍しく夢中になってしまった。「妖棋伝」「髑髏銭」と立て続けに読んで、もっと読みたいと願うのだけど、今は書店では見かけない作家で、手に入らない。「お小夜悲願」もたまたま古本屋で見つけたものだ。購入したはいいけど、それから手をつけていないという本だ。
それを、「そうそう、これはまだ読んでいなかったな」と、何気なく手に取り、読み始めるや、本を置くことができなくなった。面白いのだ。
読みだしたら止まらなくなるも、3分の2ほど読んだ時点で、自分に言い聞かせ、本を置く。一気に読んでしまいそうだが、残りは明日の楽しみに取っておこうと決める。そうして自分自身を焦らすなんて、僕もすごいMっ気があるなと思うが、一気に取り込まないで、後に残すということも僕は学んでいかないといけないのかなとも思っている。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
(付記)
これをこのまま続けておればと、後悔するばかりである。健康になること、健康を維持することとは、心労の連続である。
(平成29年1月)