4月8日(日):さまざまな発見
外を歩くといろいろな発見があるものだ。今日、仕事を終えて一時間ほど高槻周辺を歩いた。
最初は喫煙場所(灰皿が置いてあるだけだが)で喫煙していた。こういう時、タバコは便利だと思う。立ち止まって考えたり、あるいはそれとなく人の話を立ち聞きしたりするのに不自然に見えないからだ。
二人の女性がそこに来て喫煙し、お喋りをする。僕はそれとなく聴いている。一人が次のような話をする。誰かと食事に行く時、自分がパスタを食べたいと思っていたら、相手に「パスタを食べたい気分じゃない?」と尋ねるそうである。僕がもしそのように尋ねられたら、僕のようなひねくれ者は「絶対そういう気分じゃない」などと答えるだろうと思った。でも、「パスタが食べたい」と言われれば、「ほな、そうしようか」と言うだろう。「パスタ食べたい気分じゃない?」と「パスタが食べたい」という二つの言い回しは、実は全く異なったことを伝えているのであるが、お分かりになるだろうか。
その後、ラーメンでも食べようかと思い、一軒覗いてみる。満席だったので諦める。なぜ、満席なのかを考えてみる。その近くにあるもう一軒のラーメン屋が閉まっていたのもあるだろう。でも、その他の飲食店はけっこうガラガラである。グルナビなど、みんなが同じ情報網で検索するから行動パターンが類似してしまうのかもしれないと思った。
飲食店に限らず、どこかの店に入る。僕は外れを経験したことがない。何か得るところのものがあるはずである。飲食店に入ると、僕は次の点を見る。味と値段、メニューの内容。取引している酒のメーカー。店長と店員の様子。ユニフォームのデザインなども見る。更に、どんな道具を使っているか。テーブル、椅子、テーブルの上に置かれている物、壁、内装。機会があればトイレの様子も見る。そして、出入口。入りやすさを見るのだ。さらに、店の造り、注文しやすいかどうかなどを見る。そして更に、その店の一日の収益がどれくらいになるだろうかなどを計ったりする。こうした様々な点を観察していると、外れの店なんてないのだ。
結局、何も食べず帰宅する。帰宅の電車の中で大声の三人組がいた。女二人に男一人である。阪急電車の停車駅のことで話している。男は京都に長く住んでいるようだが、女二人は地方から出てきたのだろうか、停車駅について男が説明している。女二人は新生活を始めた人かもしれない。でも、なぜそれを大きな声で話さなくてはならないのか。恐らく不安があるからだろう。
駅を出て、近くのコンビニに寄る。パンやおにぎりなどの品物がほとんどない。この店でここまで品薄になるのは珍しいと思った。これは恐らく観光やイベントのためだろう。今朝も出勤時に駅で団体がたむろしていたのを見た。これは店側の発注ミスだなと思った。こういうのはよくあることだ。日曜日などは特に難しい。イベントごとがあって、人が通る時は良いが、そういうものがない場合はさっぱりなのだ。この落差が大きいのである。平日はある程度一定数の客が見込めるのだが、日曜日に関しては、客がドッと押し寄せるか、ガラガラになるかのどちらかである。この店は暇になると見込んで、その見込みが外れたようだ。月初めでそういう見込みをするということは、経営が苦しいのだろう。
さて、そんなことを見聞して、ようやく家に帰ったのだ。何をやっていることやらである。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)