4月6日(金):先祖の墓
今日は暇日である。午前中に墓参りに行こうと計画していた。彼岸の墓参りである。未だに行けてないのだ。それで、朝、家を出ようとしたら、空模様がかなり怪しくなっていた。これは途中で一雨来るなと思った。そう思うと、もうダメだね。外を歩くのが急に億劫に感じられてきたのだ。それで中止して、買い物に出る。その後で職場に向かう。
昨日も寒かった。なかなか春が来ない感じである。季節だけでなく、日本全体がそういう感じであるように僕は思う。
まあ、それはさておき、天候というのも意外と大事なものなのだ。天気が人の心に影響するということは良く知られていることだ。心理学の実験でもあった。電話でアンケートを取るのだけれど、一方のグループは即座にアンケートに入るが、他方のグループはアンケートに入る前に「そちらの天気はどうですか」と一回天気に目を向けさせるのだ。それで解答に違いが表れるかどうかを調べるのだ。もちろん、使用するアンケートは両群とも同一のものを用いる。結果、天候はアンケートの解答に影響があったというのである。昔学んだ実験なので、うろ覚えであるが、大体そういう実験だったように記憶している。
僕の体験でも言えることだ。雨降りの日に「うつ」の人と面接していると、物凄く気分が沈むのである。ただ、今日の場合は、雨が降りそうだという予期の段階で億劫になったということに違いがある。
雨は多少降ったので、僕の選択はまちがってはいなかった。中止しなかったら雨の中を歩くことになっていただろうからだ。でも、よく考えたら、億劫なのはもっと別の所にあるのかもしれないと思い至った。
そのお墓には僕の先祖が眠っている。でも、僕はその人たちと面識がないのだ。先祖の墓であるとは言え、僕にとっては未知の人たちのお墓なのだ。祖父も祖母も僕は知らない。僕が1,2歳の頃まで祖母が生きていたそうだけど、僕は記憶にない。パーソナルな関係がない人たちのお墓に参ることになっているから、どうしても億劫がってしまうのかもしれないな。これは僕にとっては、今更ながらという感じがしないでもないけれど、一つの発見だった。
それで墓参りを中止して、河原町に出て、古本屋に入る。相変わらず全集ものが欠巻なく揃っているのを眺めるのは気持ちがいい。ひとしきり眺めた後、前々から買おうと思っていた哲学書を一冊購入した。それは絶版になっていて、何年か前に僕は図書館で借りて、全ページコピーして読んだ本だった。やっぱり、本の体裁がある方がいいね。コピーだと、どうしても本というよりも資料という感じがしてしまって、味気ない。内容はコピーしたけれど、現物の書物で所有している方が、やっぱりいいものだと思った。
仕事の合間を縫って、今日はその本に没頭した。お墓にも参らず、こういうことばかりしているようでは、先祖様もさぞがっかりされることだろう。と言いつつ、これを書き終えたら、本に戻ろうと考えている。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)