4月29日(土):僕のリズムに従って
今日は特にこれといった仕事がない。予定や用事も特別なものは何も入っていなかった。土曜日は工場出勤だが、今日からゴールデンウイークで工場も休みだし、そもそも契約が打ち切られたのだから、工場バイトももう過去の話だ。
仕事とか予定とか、そういうのが無いなら無いでいい。今日は家にいて、母からの用事をいつでも受け取れるようにしておこう。母の具合もだいぶん良くなってくるとは言え、それでも苦しそうな時がある。
その母から、毎日のように「あれやって」とか「これ買ってきて」とかいった用事を言い渡される。今日はいつでも用事を承る覚悟をしていたのに、今日に限って何の用事もないというのだから、困ったものだ。
昨夜は工場での最後の勤務だった。帰宅後は家呑みした。せっかく覚えた仕事も、ようやく楽しみを見出し始めていた仕事も、さらにはそこで仲良くなった人たちともお別れだ。寂しい思いを噛みしめながら飲んだ。
今朝は遅めに起きた。あまり十分に寝たという感じはしない。まあ、今日は予定が無いのだから、眠たくなったら昼寝でもすればよかろうと思い、そこから起きて活動を開始する。
今日はサイト作業をする。ブログの復旧の方だ。2013年の6月から滞ったままだった。しかもそれを一か月くらい放置していた。
いくつか復旧する。2013年頃の原稿は手直しが必要なので、そのため少し時間が余計にかかる。もう復旧を慌てないし急がない。できる時にできる限りのことをやっていこうと思っている。
お昼ごろ、作業を中断して居間に入る。母がテレビを見ていた。吉本新喜劇だ。母は毎週これを見る。
あれが不思議だと思った。どういうわけかついつい見てしまう。僕もお昼ご飯を食べに居間に来たのに、いつしか新喜劇を見てしまう。
あの新喜劇というやつだけれど、個々の芸人さんのお笑いネタよりも、シナリオとか演出がよくできていると思った。観客を飽きさせないように工夫が凝らされているように思った。一度、これを研究してみても面白いだろうなと思った。
まず、主人公たちが困った立場に立たされる。そのシチュエーションはストーリーによってさまざまであるけれど、基本的に困った状況が発生する。
その困った状況をなんとか打破しようとして、あれこれ策を練るものの、さらに事態をややこしくしてしまう。でも、最後には丸く収まり、大団円を迎えるというのがお決りのパターンである。ストーリー展開というか、プロットもよく練られている感じを受ける。
そして、いろいろな芸人さんが入れ替わり立ち代わり舞台に登場して、その都度、各自の持ちネタなんかも披露して、観る方を飽きさせない。次々に人が現れては芸をしていく。常に言葉が交わされ、動きが生じる。このテンポ良さも絶妙なんだろうと思う。
吉本新喜劇の裏方には、お笑いを研究しつくした人がきっといるだろうと、そう思うようになった。
その後もサイト作業をする。本も読み、映画も観る。それで今日の一日が終わった感じだ。別にそれが良くないとか言うつもりはない。そういう日もあっていいものだ。
本、映画、テレビなど、今は外部のものを吸収する方が、何か書いて残す作業よりも、勝っている感じがする。そういう時期がある。外側のものをひたすら吸収したくなるのだ。その後、今度は逆に、内にあるものを外に出したくなるのだ。なんとなく僕なりのリズムがあるのだけれど、僕は僕のリズムに従っておこう。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)