4月23日:コロナ・ジェノサイド~a la carte

4月23日(木):コロナ・ジェノサイド(30)~a la carte

 

 今日も懲りずにa la carteを。まとまった内容にならないものばかりだ。

 

(軍法会議を)

 コロナウイルスとは戦いということがよく言われる。コロナと人類との戦争だというわけである。それなら軍事費をこちらに回せばどうだといった意見もあるようだ。

 でも、その前に、これが戦争であるなら、戦争裁判とか軍法会議を開いてほしいものだ。国のトップ連中は銃殺刑になるんじゃないか。

 

(不評マスク)

 そしてアベノマスクの方も何かと問題が起きている。汚れているとか、異物が混じっているとか、それで配布を一旦止めるとか。配達員への感染問題もある。届いても、外側の包装を洗ってから開けるようにとか、そんなことも読んだ。何もしなくても問題が起き、何かをやっても問題が起きる。一体、どうなっていることやら。

 そのマスクであるが、国が4社ほどに委託したそうだ。それで使用できないようなお粗末なマスクを作ったのだ。この4社がお金を着服したと疑われても仕方がない。実際、僕はその疑いを持っている。

 そして460億円もの経費を使って使用できない品物を作ったわけだ。普通の会社なら間違いなくクビが飛ぶ。あるいは最果ての地に左遷される。何の責任も問われず、お咎めもないのは政治家だけか。

 

(接触8割減の失敗)

 政府が言うのは人との接触を8割減らすということばかりだ。自分たちは何人も一室に集まって会議しているのに、そんなところで接触を増やしているんじゃどうしようもない。そもそも、8割減らすというのがどういうことなのかを伝えないのが悪い。接触8割減は限りなくロックダウン状態になるということなのだ。

 僕が仕事とか用事があって外出する。一応、そういう外出は認められている。僕のその外出が8割減にどう影響しているのか分からない。後になってからでないと分からないのだ。前もって知らせてくれるわけでもない。

 例えば、ただいまこの地域では6割減です、あちらの地域では5割減となっておりますとか、そういう知らせさえもらえないのだ。普通に生活している個人にとって、何を手掛かりに8割減を知ることができるのか。

 

(犬にはエサを)

 泥棒が家に入る。イヌが吠える。すると泥棒はこの犬にエサを与える。この犬は泥棒を味方と思い、おとなしくする。

 商売の世界では損して得取れということも言われる。最初にサービスしておけば、また客が足を運んでくれるようになるということだ。

 どちらも簡単な理屈だ。

 この簡単な理屈が政治家には分からないのだから、どうしようもない。

 最初に国民にドカーンと補償を出せばいいのだ。最初に貰っておくと、こちらも政府の言うことに従おうという気になる。先に貰っている手前、なかなか批判もできない。国も身銭を切ってまで我々を救ってくれようとしているのだ、それなら我々も国に協力しようじゃないかってな気持ちになるものだ。

 逆の手順を踏めば必ず失敗するのである。

 

(補償のバカらしさ)

 しかし、補償を受け取るためにはこちらも利口にならなければならない。

 休日は海や山にレジャーに行く、県を超えてパチンコに行く、クラウドファンディングで至る所に寄付が集まる。

 国民がこういう姿を見せると、国は補償するのがバカらしくなるだろう。遊ぶ余裕のある人たち、他の人に寄付できる余裕のある人たちにどうして補償をしなければならないのだ、十分お金を持っているじゃないかと、そういうことになる。

 補償を得るためには本当に苦しんでいなければならない。しかし、国民が本当に苦しんでいても、政府はそれ見ないか否認する。もはや救いようがない。

 

(退屈と気晴らし)

 人々は自粛によって退屈になっているのだ。それで気晴らしを必要とするのだと思う。これはつまり、自分だけの時間に耐えられないということではないだろうか。一人でいることに耐えられなくなるのではないだろうか。一人でいると、どうしても自分と向き合わなければならなくなってしまうからだ。

 パスカルがそういうことを言っているわけだ。人は自分を見ないためにあらゆる気晴らしに興じると。自分を見ないためには戦争さえしでかすと。僕もそれに賛同する。自分自身を意識してしまうことが苦しいので目をそらさなければならなくなる。特に自分自身が空虚であればなおさらである。そうして意味のない気晴らしに興じる。

 この前の土日も多くの人が出歩いたそうだ。海ではサーフィンとか潮干狩りとかを楽しむ人たち。山は登山者たち。今、それをしなくても問題はないのである。一か月先にそういうことをしても何ら問題はないのである。しかし、彼らは今それをしなければいられない気持ちになっていたのかもしれない。自分自身から逃避しなければならない人たちなのだと思う。

 もし、その気晴らしが自己からの逃走であるならば、その気晴らし行為は今後も続く。気晴らしをしてリフレッシュして、それで満足したという経験にならないからである。自己から逃げる必要がある限り、その行為は継続する。その行為は決して完結しない。ギャンブル依存なんかと同じ心理である。

 

(オリンピックの中止を求む)

 最後にオリンピックのことを。オリンピックが延期になるというのは史上初のことであるらしい。開催国が開催できない場合、通常では、中止になるそうだ。

 今回も中止にしてくれたら良かったのに。2016年から2024年まで開きがあってもなんら困らない。一回とんでも誰も困らない。

 選手も困らないのだ。どのスポーツ競技でも世界大会がある。世界陸上とか、ワールドカップとかがある。オリンピックがなくても選手は世界で活躍できるのだ。

 今回のことでオリンピックがいかに産業化しているかがよく見えた気がする。巨大産業なのだ。選手よりもカネの動きの方が大事なのだ。

 一年延期ということで、経費がさらに嵩むことになった。しかも一年後に本当に開催できるかどうかも危ういのである。さらなる延期ということもあり得る。延期期間が延びるほど経費が飛んでいくのなら、いっそのこと早急に中止を決めてほしいところである。

 加えて、来年に開催できても、コロナの抑制にこれだけ失敗続きの国に敢えて来ようと思う外国人がいるだろうか。その頃も、日本は危ないなんて言われているかもしれないのに。そう言われないためにもコロナ対策にしっかり取り組むべきではないだろうか。

 今、世界はオリンピックどころではないのだ。日本だけが拘り続けているのではないだろうか。オリンピックなぞ、実に迷惑千万である。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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