4月21日:面倒臭がり 

4月21日(土)面倒臭がり 

 

 今日は少し時間が有るので、もう一本書いておこう。四月に入って、このブログが疎かになりつつある。公開を怠ったり、書かない日が生じたりと、当初の目標から離れていっている感じがする。 

 理想は、毎日書いて、毎日公開するということだった。それが書くのを怠ったり、公開する作業を面倒臭がって、まとめてやったりと、うーむ、だんだんルーズになっていくような感じがする。 

 もっとも、他の作業で時間が取られているというのもある。サイトに関しては、未完成で溜め込んでいる原稿を一つずつ仕上げていっている。それに過去に書いた分を書きなおしたりもしている。その他、細々した作業がサイトに関してはある。それらに追われることもある。 

 さて、何を書こうか。昨日考えていたことだけど、僕は一時期「般若心経」を写経する習慣があった。それをまた始めたいなと思うようになった。でも、あれはけっこう時間がかかるものである。初めて写経した時は、二時間近くかかった。慣れない筆で書くということに加えて、文句を覚えていないから一字一字見ては書きを繰り返さなければならなかったからだ。 

 「般若心経」自体、深淵な教えのエッセンスを凝縮したようなお経であるが、僕はそれをさらに簡略化できないだろうかと、昨日、何となく考えていた。何という罰当りなことを考えるのかと、僕は自分でもイヤになるのだが、でも、一回書くのに、せめて30分くらいでないと毎日は続けられないのではないかとも思う。やはり、簡略版を作るべきだ。 

 そう思い立った僕は、よし明日は簡略化に取り組もうと決意したのだ。ところが、一夜明けると、そういうことはすっかり忘れていた。いや、忘れていたというのは正しくないな。そこまで手が回らなかったと言うべきかもしれない。何となく頭の片隅にはあったのだけれど、着手するに至らなかったのだ。 

 しかし、面倒臭がりの性格は何とかしないといけないな。「般若心経」を簡略化しても、それさえもが面倒に思えてきたら、更なる簡略版を作るかもしれないな。そのうち、「色即是空空即是色」の8文字だけを書いて、それで良しとしてしまうかもしれないな。でも、その8文字が「般若心経」の神髄だから、それ以上は簡略できない。その8文字以前は、その8文字に至るまでの過程であり、その8文字以降は、その8文字の示す事柄の説明と見做すことができる。だからこの8文字をしっかり押さえておけば、全体をそれなりにカバーできそうである。 

 ああ、こんなことを考えていたら、半紙にこの8文字だけを書き、それで「今日の写経は終わり」としてしまっている自分の姿が浮かんできてしまった。 

 面倒臭がりというのは、本当によろしくない人種だね。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

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