4月21日(土):山場とスランプ
何人かのクライアントで、カウンセリングの山場を迎えている。こういう山場は一人のクライアントに何度も経験されるものである。そして、山場を越えるとクライアントに大きな前進が見られることが通常である。一方、この山場を前にして、クライアントが尻込みして、カウンセリングから離れていくこともある。だから、この山場は僕にとっても一つの試練となるのだ。
しかし、このことを一般に理解してもらうことはけっこう難しい。
新しい何かがもたらされた時に、それを同化していくための時間というものが必要である。そして、その間は少々苦しい思いもするし、不便もある。これはどんなことに関しても見られる現象である。
新しいものが芽生えて、あるいはもたらされて、それが即自己の中に消化されるわけではない。古いものと格闘しながら、古い物が徐々にその席を新しい物に譲って行く過程がある。その時期には、新しい傾向と古い傾向が、いわば共存しているような状態で、その人はその両方を交互に体験するものである。
クライアントにはその状態がとても不安定なものとして体験される。時には、これは悪化のサインだと見做してしまう。でも、実際にはそれは前進していることのサインなのである。これを上手くクライアントに伝えることができるかどうか、いつも僕は神経を使う。
いくらケースを積んだからと言って、いつも同じやり方が通用するという分野ではない。そのクライアントに分かるように伝えなければならないし、受け入れられなければならない。ある人に通用した言い回しが、このクライアントには通用しないということは、これまでイヤと言うほど経験した。こういう時、技術など何の役にも立たないということを僕は思い知る。その人に合せて伝えなければならない。
こうして、僕は神経を擦り減らす。山場を迎えるクライアントに対しては、その何日も前から僕の中に緊張感が漲る。継続的に面接していると、こういう山場が近いうちに起きるなということが予測できたりする。すると、僕の中である種の覚悟を決めなければならない。この山場を何とかして、お互いに乗り越えていかなければならないと思う。
クライアントは、それにクライアント以外の多くの人たちは、ごく当たり前に受け入れることができている事柄を、心のことに関しては受け入れ難く感じている。僕にはそう見える時がある。
何かを長く続けていると、その間には波があり、スランプに陥ることがある。人はそういうスランプを受け入れることができる。その同じ人が、カウンセリングにおいてはスランプを受け入れ難い経験と見做しているのだ。心のことに関しては、スランプがあってはいけないとでも言わんばかりの人もおられる。
どこかで書いてもいいが、スランプというのは、次に進むために心身が調整してくれている期間であることが多い。アンバランスになっているものが、バランスを回復する過程と言ってもいいかもしれない。それを経ると、僕たちはその従事している事柄にずっと上達するようになるものだ。カウンセリングもこれと同じことが起きるのである。しかし、そのことを理解してもらうことがいかに難しいか。僕は今日もそれで悩む。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)