4月2日(火):ブログへの思い
これは1日(月)の夜に書いている。仕事を終えて、夜勤に行く前に書いている。最近は、仕事を終えて、喫茶店で書き物をする前に、銭湯に行く習慣がついた。そこでサウナに入って、汗をびっしょりかきながら、いろいろ考え事をするのだ。汗と一緒にいろんなものが流されていくような爽快感がある。
今日はあまりタバコを吸っていない。いつもは二箱くらいいくのだけれど、今日は一箱吸っていない。喉の調子が良くないということもあるのだけれど、何やら他のことで頭が一杯でタバコのことを忘れている瞬間がいくつもあった。こうしてタバコの囚われからも解放されていけばいいなと思う。
何をそんなに考えることがあるのかと言うと、実に様々なことを考えている。仕事のこと、副業のこと、このサイトのこと、電子書籍のこと、仕事場のこと、人間関係のこと、家族のこと、家庭のことなどだ。要するに、何一つ満足していないからなんだ。
常にここはこうしようとか、こんなふうにやってみとうとか、いろんな案が頭の中にはある。でも、実現できているのはそのわずかな一部だけ。そのわずかな部分でさえ、思っていたようには満足できていないことばかりだ。
満足できない、つまり「これで良し」と思えないというのは、本当にイライラを募らせるものだ。最近、それを発見した。いや、発見したと言うより、現にそう体験していると言った方がいいな。
このブログも新しく書き直して今日で二日目だ。他人のことに触れずに書くということにまだ慣れていない。僕の一日を書こうとすると、そこには当然関わった他者のことも触れてしまう。それを避けて書くとなると、本当にたいへんだ。やりにくいし、制限されているみたいで自由がないし、けっこうなストレスだ。
以前のブログも、すべて僕の内面で生じたことを綴っていたはずなのだ。でも、それを違ったように受け取られてしまうことには耐えられない思いがする。誰にも損害を与える意図など僕にはないのだ。それにも関わらず、ある人は非難されたかのように感じ、ある人はブログの中の一文だけを取り上げて僕を信用できないと言うし、またある連中はそれで金儲けをしようと企む。ウンザリするね。
多分、このブログの読者はいなくなっていくだろうと思う。誰も読まなくなるだろうと思う。決して楽しいブログではないし、読んでも得るものは何もないだろうし、僕自身、読者サービスをするつもりなんかまったくない。
ただ、サイトとブログと二本柱でやっていった方が、サイト全体が稼働するからと言われているからやっているに過ぎない。これは以前のブログでもそうだ。本当の目的はサイト全体が動いていくということにあった。何を書くかは二の次だった。サービスでいろんなものを提供するほど、僕は善良な人間ではないと、僕自身はそう思っている。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)