4月19日(木):今日の出来事
今日はなかなかたいへんな一日だった。勉強会に参加するので仕事の方は休みにしている。以前なら、勉強会よりも仕事の方を選んでいただろうけれど、最近は考え方が逆になってきた。仕事も大切なのだけど、人中に出るということも、今の僕には必要だと感じられている。多少、そういう刺激もないと、思考も感情も単調になってしまいそうに思うからだ。
朝はいつもより少しゆっくりできる。昨日のYさんのことが気になっている。Yさんのある事柄が頭から離れないで、朝のうちはずっとそのことを考えている。いつか理解できる日が来ると信じて、頭を切り替える。
家を出て、今日の伴侶とする本を選ぶ。あまり肩の凝らないようなものがいいし、長編小説にしようとは決めていた。そして、フレデリック・フォーサイス「オデッサ・ファイル」に決める。以前、古書で買い込んだ時の一冊で、未読のものだった。出版時にとても売れたそうであるが、僕はどうもああいうスパイもの、国際情勢などが絡んでくる物語には苦手意識がある。でも、「オデッサ・ファイル」は主人公や登場人物の動きだけを追って読んでも十分楽しめる。何とか、今日のうちに読み切った。面白かった。もしかすると、今日の一番の収穫はこの本だったかもしれない。
中でも、第2章で披露される老人の日記である。なかなか見事な表現、描写であると思った。これだけでも一篇の作品になるくらいだ。
外は天気も良く、歩いていて気持ちがいい。勉強会に少し顔を出して、それから職場に顔を出す。留守番電話にメッセージが入っている。雑誌か何かの取材の申し出のようだった。一昨年の現代画報以来、僕はもうそんなものには懲り懲りしているので、無視することにした。
それよりも、書きたいことがあるので、僕はノートを一冊買っておいて、それに書き始める。パスカルの「パンセ」を読んでいて思いついたことだ。「パンセ」はパスカルの死後、パスカルが書き残した草稿やメモを集めた書物である。後に残された人がそういう編集作業をされて、今の形になった書物なのだ。
僕の場合、そういうことをしてくれる人がいないので、自分でしていこうというのだ。僕が日記やノート、手帳に書いた思いつきを、一か所に集めようと考えたのだ。僕はそういう思いついたことを書き遺すようにしているのだけど、それは方々に書き散らしているので、それを一つにしておきたいと考えたのだ。
そういう思いつきの多くは、このサイトの原稿やブログに書いている事柄となっているのであるが、それ以外の物もたくさんある。古いノートやなんかを紐解いていると、いろんな箇所で、いろんなことを書いているなと、我ながら感心するのである。中には、今読んでも、こんなことを考えていたのかと自分でも驚くものもあった。それをノートに綴っていると、なかなか楽しくなってきて、結局、夜はほとんどその作業で費やした。
夜は雨が降ってきて、帰りはひとしきり雨に濡れたが、これもまた春である。そう思ったのだ。冬の寒さはないし、夏の雨ともまた違う。
傘を買えばいいという話だが、せいぜい7,8分のことだから濡れて帰ることにした。不便もまた心地よしと思える夜だった。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)