4月15日:コロナ・ジェノサイド~二度目の敗戦

4月15日(水):コロナ・ジェノサイド(25)~二度目の敗戦

 

 コロナの収束に1年近くかかると言われている。そして、これは戦いとして表現されることも多い。国家とコロナ、人類とコロナとの戦争である。このように言われることもある。日本はこの戦争に勝つか。

 1年後を想像してみよう。日本はコロナに勝った。しかし、町には失業者があふれている。明るい未来に胸躍らせる人はわずかであり、人々は今日の食にも飢えている。街からは光が消え、多くのテナントはシャッターが下り、仮に営業しているお店があっても利用できるのは限られた富裕層の人だけ。

 ワクチンや特効薬ができても、医療にかかることのできるのはごく一握りの人たち。失業中の人たち、住所不定の人たちはその恩恵を受けることはなく、相変わらずコロナの災禍に見舞われ続ける。

 オリンピックは開催されるが、それはすべて日本以外の国のための開催になる。そんなイベントを楽しめるのは日本以外の諸外国の人たちだけである。自国民はそんな余裕もないのに、諸外国をもてなしできたことで政府はホクホクしている。

 日本人の人口は6000万人ほどに半減している。コロナによる死亡が2割、自殺が4割、あとは犯罪や暴動で命を落とした人たちや餓死者などである。生き残った人たちに希望はなく、政府は日本が一団となってウイルスに勝ったと賛美し、強く平和な日本というスローガンを掲げ続ける。そして、焼野原からの復興を再びというわけだ。

 米中の関係が悪化し、そこに北朝鮮が絡む。戦争はすでに勃発しているか、一触即発状態になっている。日本の自衛隊には志願者の列ができている。戦争をしたいわけじゃない。メシにありつけるために志願するのである。今日生きるために明日の命を担保にするわけだ。

 かつてコロナに感染して一命をとりとめた者の多くは、あの時死んでいれば良かったと思う。コロナに感染しなかった人たちはコロナに感染して死んだ方がましだったと思う。こんな一年後が来るくらいなら、死んだ方がましだと思う人が続出する。一部は本当に自殺を実行する。他の人は人生を嫌悪し続けつつ生きる。

 戦争を望む人もある。あるいは、最新型コロナウイルスに期待する人もある。生きていけない人たちの最後の希望である。

 

 こんな国民の状況を政府も黙ってみているわけではない。生活困窮者に生活補助として給付するという案が出る。

 一世帯につき30万円出しましょうということに決まる。ところが「待った」がかかる。というのは世帯を構成していない人たちの方が多く、大半の人が給付を受けられないということに、今さらながら政府が気づいたからである。

 そこで一人につき10万円出しましょうということになり、国民一人一人の通帳に振り込みましょうということになる。ところが再び「待った」が入る。銀行に口座を持っていない人はどうするという反論が生まれる。

 そこで、振り込み式と手取り式の二つの方法を選べることにしようと決まる。国民にすべて通知を送り、それを持って役所に行く。振込希望者は振込先を伝える。手取り希望者はその場で手渡しされる。これならいいじゃないか。ところが、ここで「待った」が入る。銀行に口座もないホームレスの人たちが、裸のまま10万円を持つのは危ないと言った反論が生まれる。

 そこで、安全に給付を手渡すためにどうすればいいか議論を重ねなくてはいけなくなる。国民全員が銀行に口座を持つようにしようという案が出るが、そのためにはどうすればいいか、すでに住所不定のホームレス状態の人が大量に生まれている。新たに口座を持つことができるようにするにはどうすればいいか。こうして給付の議論は拡散していき、実現が遠のいていく。

 国民は一時的には希望を抱くが、延々と実現しない議論に辟易し、政府に何も期待しなくなる。新たに裏切られるよりかは愛想尽かす方がましである。突き落とされるくらいなら自ら飛び降りた方がましである。

 

 以上、一年後の日本がどうなっているのかの予想である。

 かなりペシミスティックであるが、僕は本当にそんな未来が来るような気もしている。そこまでひどくないかもしれないけれど、そうかと言って、あまりバラ色の未来も想像でいない。

 日本はコロナに勝てない。日本は二度目の敗戦を迎えると僕は思っている。ワクチンや治療薬ができたとしても、やはり日本は負けるのだ。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

関連記事

PAGE TOP