4月15日(月):キネマ館~『ゴモラ』
忙しくても映画は観ている。2時間くらいで終わるのがいい。その間に、たとえそれがフィクションであれ、人間が置かれている状況に触れることができる。それが勉強になるという感じがしている。
2月から3月にかけて観た映画について書き残しておこう。ちなみに、1月は当たり月だったけど、どうも以後、あまり夢中になれる作品に遭遇しなくなった。
『ゴモラ』
これは公開時、実際に映画館で観た映画だ。レンタルされていたので借りた。
ちなみに、最後に映画館で映画を鑑賞したのが1995年だった。それ以来、映画館に足を運んだことがなかった。Yさんが映画に行くというので強引について行ったのだった。その時の映画が本作であった。
いやあ、21世紀の映画は複雑なんだなあというのがその時の印象だった。でも、複雑なのは、この映画の構造に起因しているようであり、且つ、何の予備知識もなく鑑賞したためでもあろう。
この映画はイタリアの裏経済を描いているもので、実話に基づくものである。複数の物語が同時進行するという構成であり、尚且つ、それぞれの物語は交錯することなく終わる。それと「カモーラ」というのは特定の組織を指しているわけではなく、そういう裏側で暗躍しているような集団全体を指す言葉であるようだ。日本で言う「ブラック企業」のようなものだ。特定の企業を指しているわけではなく、違法スレスレのことをやっている企業は「ブラック企業」と称される。「カモーラ」というのもそういうものであるようだ。
物語は、まずトトを主人公にしたものがある。10代の少年で、集合住宅に母親と住んでいるようだ。学校には行っていないようである。母親がこっそりと雑貨業を営んでいて、トトは配達係である。この住宅には他にも学校に行ってない子供たちが大勢いるようである。日々を持て余し、夢とか希望もなく鬱々とした生活を送っているようである。トトは組織に入る。銃で撃たれるという試験をパスして一員となる。そして、トトは自分に良くしてくれた主婦の暗殺に手を貸すことになる。
組織に入らない者もある。この二人の若者は組織に属することを拒む。ひたすら単独行動をする。ある時、マフィアが銃器を隠しているところを目撃し、その武器を盗む。武器を手にした途端、気分が高揚するのか、川べりで銃をぶっ放して遊ぶ。彼らは初めて自分が力を得たように感じたのだろう。現実にはひ弱で気弱なチンピラに過ぎないのだが。やがて、彼らの動きが目障りになってきたために、組織は彼らを雇う振りをして暗殺してしまう。邪魔者はこうして消される運命にあるのだ。
集合住宅地の管理人さんのような男性の物語もある。彼は住人から集金し、それを組織に手渡す。運び屋である。組織間の抗争が激しくなり、彼は運び屋を辞めたいと訴えるが、却下される。その矢先に銃撃戦に巻き込まれてしまう。命は助かったものの、無数の射殺死体の合間を縫って、彼は逃走する。一旦、組織に関わると抜け出ることはできず、抗争にも巻き込まれてしまうのだ。
服飾職人の話もある。彼は腕のいい職人だ。経営者は彼を育てた恩人であるらしい。彼らはセリで仕事を得る。限られた期間内に何百着という服を作ることになる。従業員はフルワークとなり、経営者は資金繰りに奔走する。そんな矢先、中国企業が彼に目をつけ、工場で職人たちを教えてほしいと頼まれる。彼はそれを引き受けるが、中国人起業者が暗殺され、彼も怪我を負う。その後、トラック運転手に転業した彼は、自分の作った服を女優かモデルのスターが着ているのをテレビで見る。
これも悲しい話である。どれだけいい腕を持っていても、才能があっても、評価されないのだ。唯一評価してくれるのが中国企業の、非合法的な企業だけである。彼は自分を高く評価してくれるところに協力したことになるのだが、そこに職人のプライドと人間性を見る思いがする。
最後にロベルトの話がある。ロベルトは40歳で無職の男性だ。父親が養っているが、父親も高齢で養いきれない。そこで、父の請願もあって、ロベルトは産業廃棄物処理会社の社長秘書として雇用されることになった。そこまでは良かったものの、ロベルトが目にするのはその企業のひどさである。運転手がストを起こすと、社長は浮浪児をつかまえてきて子供たちに運転させる。廃棄物の処理も法的基準を満たさない。社長は金を手に入れることしか頭になく、倫理観が薄いようである。社長は生きていくために悪どいことも必要であるという哲学の持ち主であるようだが、ロベルトはそれについていけず、社長を残して立ち去っていく。
僕が思うに、ロベルトは悪に染まることができないのだ。トトや二人組の若者とは正反対のキャラであるように思う。正しい仕事をしようとすると、彼のように無職状態に留まることになってしまうのだろう。
以上、5つのストーリーが同時進行で描かれる。オムニバス式で作ってくれるともっと分かりやすいのだろうけれど、同時進行することで却ってリアリティが増しているのかもしれない。現実にもそれぞれのエピソードは同時進行していたわけであるからだ。
暴力的なシーンも多いし、若干、苦手な場面もある。それでもいい映画だとは思う。全体的に暗いトーンも独特の雰囲気を醸し出しているように思えるし、非常に長いワンカットで撮影されていたりするのもドキュメント感が高まる。よくできた映画であるようには思う。
そして、これが実話だと言うのだから恐ろしい。結局、表経済が行き詰まるのだ。表経済がダメになるから、裏経済に走らざるを得なくなる上に、人々も裏社会を必要としてしまうのだ。裏社会がなければ生きていけなくなってしまうからである。
さて、裏社会に生き、裏経済を操る組織を描いた映画に『ゴッドファーザー』がある。本作『ゴモラ』の宣伝にも、しばしば『ゴッドファーザー』が引き合いに出されたりもした。しかし、『ゴッドファーザー』にはあって、『ゴモラ』ではなくなっているものがある。それは「ファミリー」という観念である。この40年の歳月は、裏社会においてさえも家族崩壊を進めてきたのか、そう思うと、気分が重たくなるのは僕だけだろうか。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンタ代表・カウンセラー)