4月14日:自分を生きる 

4月14日(日)自分を生きる 

 

 本業に関して、表向きは変わらないけれど、裏側ではリニューアル化が進んでいる。4月25日に再スタートを切るつもりでいる。なぜその日なのかは理由がある。ちょうど8年前のその日、高槻カウンセリングセンターが動き始めたのだ。8年後の同じ日にリニューアルして、再スタートを切るつもりだ。 

 よく8年ももったなという感じがしないでもない。できれば10年はやりたいとは思っていた。10年できれば悔いはないなと思っていた。でも、やっていると欲が出てくるのか、もっと続けていきたいと思うようになった。 

 このリニューアルに際して、この頃はあちこち飛び回ることが多い。予定がとても不安定だ。でも、落ち着いたら安定して仕事ができるだろうと思う。ただ、もうしばらくは不安定で、飛び回らないといけない。なかなか目まぐるしく動く日々が続く。 

 いろんな経験を積むと、自分の至らなさが見えてくる。打ちのめされるような体験をする時もある。でも、そこを改善していくようにしている。できるだけ前に進もうと思っている。中途で挫折してしまうことは簡単だ。継続していくことの方が難しいと思うし、何も変わらない方が、やはり同じように楽だ。自分自身を向上させて、変えていくことの方が難しい。 

 若いころにクリニックで働いた経験があるとは言え、やはり一から手探りで始めた事業だ。分からないことだらけだった。未だによく分かっていない事柄も、特に経営に関してはある。 

 自分が素晴らしい人間だとは少しも思わない。有能だとも思わない。それに、そんなに自信満々な人間でもない。クライアントと会っていて、「あなたのカウンセラーが本当に僕でいいの」と思ってしまうこともある。 

 一時期ほどの勢いはなくなったものの、細々とでも仕事ができることは嬉しい限りだ。上手く行ったクライアントは上手く行ってなくて、上手く行かなかったクライアントは上手く行ったということもよくある。 

 僕が若い頃カウンセリングを受けた時、先生に任せておけば安心だという気持ちがどこかであった。そして、これで僕は普通の人間になれるものだと信じていた。でも、現実はそうではなかった。先生は僕の人生を肩代わりしてくれないし、僕が特別な人間でも何でもないということが目の前に突き付けられただけだった。最初、このカウンセリングは失敗だったんじゃないかと、僕は自分の選択に不信感を抱いた。今では、それが「治療」なのだということが見えている。徐々にそういうことが見えるようになったのだ。 

 誰も僕のことを肩代わりしてやってくれたりはしないのだ。僕が自分でするしかないのだ。周囲の人に期待できるのは、手助けしてくれるということだけだ。肩代わりはしてくれない。どうしてもしたくないことであれ、それは僕自身が引き受けなければならないということなのだ。それが分かるだけでも上等だ。それが生きることなんだと僕は信じている。 

 また、自分は特別な人間でも何でもない。だから他人が僕に冷たかったとしても、僕は彼らを責めることができないのだ。僕がそこで自己愛の傷つきを体験してもだ。なぜなら、その人たちにはその人自身の人生があって、抱えているものがあるものなんだ。 

 すごく単純な話だけれど、僕はそれを本当に理解するまでに長い年月を要した。僕が重要な人間ではなく、一人の取るに足らない人間であるということ、そして、親でさえ実は他人なんだということ、人が僕のために特別に注目したり気にかけてくれたり肩代わりしてくれたりはしないということ。そういうことが体験されていくに従って、僕は自分の生を生きるようになっていったように思う。僕はそう思う。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

 

 

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