4月13日(月):コロナ・ジェノサイド(23)~無症状段階で手を打つこと
僕は今の政府には人命蔑視の思想が根底に横たわっていると見なしているので、今回のコロナ騒動は大量虐殺状態に導かれるだろうと考えている。だからコロナ・ジェノサイドなどというタイトルを付けている。
まず人命よりも経済だ。政府の姿勢として、これだけは確かだという気がしている。人命を危機に晒しても経済を守ろうとするように僕には見える。経済破綻を回避するために多くの有効な対策が未決や先送りになり、手遅れになる。
それと同じく、人命よりもオリンピックだった。僕の中ではコロナウイルスよりもオリンピックの方が憎い。あんなものがなければ良かったのにと思う。日本の対策はオリンピックのために1か月遅れたと思う。今の対策は1か月前に施行されていてよかったものばかりである。
医療崩壊がやがて起きると言われている。しかし、他の国のように野外病棟を作らないのはなぜなんだろう。ニューヨークはセントラルパークに野営病院を設置したし、他の国も同様のことをやっている。病院はパンクするのが確実なのだから。患者を収容する場所を広げようとするのは当然である。日本ではそれを聴かない。今ある病床数だけで対応しようとして、病床を増やそうという感じがしない。
この病気は重症化すると早いらしい。だから軽症のうちに手を打たなければならないのである。しかし、軽症でも遅いと僕は考えている。無症状のうちに手を打たなければならないのだ。重症化を防ぐのではなく、軽症化を防ぐのだ。
マスコミの報道を聴いていると無症状-軽症-重症の三つに分類されているようだ。しかし、これは言葉としては誤解を招く。上記の三つはそれぞれ軽症-中等症―重症と考えた方が良さそうである。
実際、僕はそう考えている。無症状と言われているものは、気づかない程度の症状があるということなんだと思う。だからこれを軽症とするべきなのだ。この段階で治療がなされるべきなのだ。そして、熱などの症状が現れた時は、すでに手遅れなのだ。それでもこの段階で治療を受けることができれば幸運である。ここからさらに症状が進行してからようやく医療にかかれる人もある。場合によっては重症化してからようやく治療を受けられるという人もあるだろう。
基本的に、治療が施されるのが遅いのである。かなり遅い段階に至って治療が開始されるのである。僕の個人的見解に過ぎないが、そう思われてならないのだ。
手遅れになる根本原因は検査にある。検査がなされないために手遅れになるのだ。いわゆる無症状段階で手を打たなければならないのであるが、その段階にある人は発見されないのだ。
アビガンだってどんどん作って、現場で使用すればいいのだ。無症状段階では最強の薬だという気がしている。
このアビガンという薬、よくできているなと思う。テレビで解説されていた。細胞に含まれるプリン体と同じ構造をしていて、ウイルスが細胞と間違えてアビガンに繁殖するということらしい。釣りの疑似餌に似ているかと思う。そうしてウイルスが体内に広がるのを防ぐということなのだ。
そして無症状段階で治癒して、ウイルスの抗体を作っておくのである。症状を発現させる前に抗体を作るわけだ。それが一番理想的な治療であると僕は思う。
大阪も休業要請を出した。今日発出して、基本的に明日から実施ということなのだけれど、今晩、すでに飲食店など多くの店舗がシャッターを下ろしている。
東京ではテレワークなどで在宅勤務を推奨しているけれど、人の動きは3割減程度であるらしい。とても目標の8割減には及ばない数字である。
僕はここでも政府の認識の甘さを見る思いがする。今日要請して明日休めるなどということが本当にできると思っているのだろうか。すでに入っている仕事もあるだろうし、予定されているものもたくさんあるだろう。
もし、企業に休業要請するなら、少なくともその1,2週間前に通告しておくべきである。その1,2週間の間に休業の準備をするように求めるわけだ。それから休業に入るというのが自然な流れではないだろうか。
東京の事情を見ていると、準備ができていないために休業が完全にはなされないようにも思う。企業もそこに勤める人たちもすべて翻弄されっぱなしといった観がある。
今夜の高槻は深夜のような雰囲気だった。明日からもっとひどくなるのだろう。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)