4月10日:書架より~『ウサギは野を駆ける』 

4月10日(水):書架より~『ウサギは野を駆ける 

 

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『ウサギは野を駆ける』(セバスチャン・ジャプリゾ著 榊原晃三訳) ハヤカワミステリ 

 

 著者は60年代から70年代にかけて非常に人気を博したフランスの作家で、「シンデレラの罠」「さらば、友よ」「雨の訪問者」などの原作者である。映画の脚本なんかも務めていて、本作もまた映画のシナリオのような作風となっている。映画向きの小説と言ったところか。 

 マルセーユでは、一人の少年が自分のビー玉を差し出すことで、男子四人、女子二人から成るグループの仲間入りを果たす。一方、ジプシーたちに命を狙われ、モントリオールへと逃走しようとしているトニーは四人の男と二人の女から成る首都警察を襲撃しようと計画しているグループに加わることになる。 

 物語の展開が速く、面白い。逃走劇あり、トニーと女たちのロマンスあり、暴力ありと、大衆映画が好む要素がふんだんに散りばめられているのだけど、ミッキー・スピレーンやハドリー・チェイスのようにはいかない。それほど爽快感がないのだ。むしろ、読後に侘しいような感情が込み上がってきた。この感情はどこから来るのか。恐らく、物語に直接関与しない子供たちの場面にあるのだろう。 

 物語は基本的に大人の側(トニーら)を中心にして描かれるが、随所で子供の場面が挿入される。著者が前書きで述べているように、子供の遊びと大人の犯罪グループとは同じ要素から成っており、それらは本質的に子供の世界に属しているという。子供の場面が挿入されるのはそのような目論見のためである。 

 マルセーユの子供たちはみな貧しい。大人たちもまた幸福とは言えない。グループのリーダーであるチャーリーもまた貧困から逃れようとして、この犯罪に手を染めているのだ。しかし、結局、金持ちになる夢は崩れ去ってしまう。トニーと6人は誰ひとりとして幸福になることなく、物語は終わる。子供時代から抜け出すことができなかった大人たちの物語のように思えてきて、それが僕に侘しいような、寂しいような感情を掻き立てる。 

彼らがどのような過去を有しているのか、ほとんど語られない。語られない代わりにマルセーユの子供の場面が読者に何らかのイメージを膨らませる。貧しくて、ギャング遊びをする子供たち、自分たちの価値観で結束している遊び仲間のイメージを僕は抱く。それがそのまま大人たちに当てはまっていくように感じられた。 

 彼らもまた子供っぽさを抱えている。「さらば、友よ」では中身を溢れさせずに硬貨をグラスに落としていくという賭けの場面があったが、本作でもタバコを三本縦に積んでいくという賭けの場面が生じる。新顔で部下となるトニーがそれをやってのけると、リーダーのチャーリーがむきになって練習するところなど、子供っぽさを覚える。犯罪者もまた子供だったわけだ。そして、そういう人間臭いところがあるものだと、僕は思った。 

 本作は映画になるときっと面白いものになるだろうし、僕はあまり映画に詳しくないので分からないのだけど、多分、映画化されているのだと思う。でも、小説としてはいささか不十分な感じがして、そこは少し残念である。 

  

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

 

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