3月9日(火):テレビを見て
今日は定休日だ。家のこともしたいので、高槻には出ずに家で過ごす。午後から歩きに出る。これは運動不足の解消のためだ。
テレビは震災のことばかりをやってる。今年は東日本大震災から10年ということで特集が多い。震災を風化させるつもりもないし、被災した人たちのことをないがしろにするつもりもないんだけれど、今はコロナ関連のことをもっと報道してほしいというのが僕の率直な意見だ。コロナをなんとかしなければ復興もままならないはずだと思う。
さて、朝のテレビだった。「おはよう朝日」だったかな。ママ友のラインでどう返答するかということを、なんかコミュニケーションの専門家みたいな先生が出て論じていたな。二つの例題を出していたが、僕は一応二問とも正解した。ということは僕のコミュニケーション感覚も一般の人とそれほどかけ離れてはいないようだ。
一問目は、Aが「明日ランチにいこう」と誘いかけ、B、Cも「行こう、行こう」と賛成している状況で、Dである回答者がどう答えるかというものだった。Dには0歳児がいるという設定だ。
僕は「悪いけど、明日は行けない」ということを言う。先生の答えは「今回はパスします」ということで、スタンプや絵文字を添えることということだった。
行けない理由は書かない方がいいとのこと。後であれこれ言われたり、それじゃあこうしたらどうなどと要らぬ助言をされたりするからだそうだ。僕は多少の理由は添えてもいいと思っている。僕の場合、相手が男性なら理由は言わない。イエスかノーだけで答えるだろうと思う。相手が女性の場合なら少しばかりその理由も添えておく。というのは自分が嫌われているなどと相手が思ったら悪い気がしてしまうからだ。
ママどうしのラインなので、理由は示さなくてもいいのかも。僕が男性に対しては理由を言わないというのと同じ状況なのかもしれない。
もう一問は、Aが誰かの悪口を言って、B、Cがそれに賛同している場面である。僕だったら相手にしない。何かを言わなければならないとすれば、「○○さんを嫌いなのはあなたの自由だけれど、私はそうは思わない」というようなことを言うだろうか。
先生の解答は無視する、スルーするということだった。いささか反則問題のような気もしないではないが、何も言わない方がいいというのは確かであるような気がする。
テレビの出演者と一緒になって例題をやっておきながら、実にくだらんと思った。ラインというものを僕はやったことがないのだけれど、例題では何も言わないというのが正解であったとしても、何か言わなければならないという圧力が問題になるのだと思う。お誘いを断ることは簡単であるが、それをすると後ろめたい気持ちになるとかいった、そこで働いているある種の圧力が問題なのだ。
僕は思う。現実の場の影響よりも、ラインやメールなんかの影響の方がはるかに当事者を拘束する。あるいは、現実の場面とは違った拘束の仕方、影響の及ぼし方をすると思う。それに抗うことは並大抵のことではないかもしれないし、被影響性の強い人であるとか、気の弱い人にとっては、先生がさも簡単そうに言っていたことでさえ、相当の恐怖心と戦わなければできないことであるかもしれない。
テレビのコーナーに逐一イチャモンをつけるつもりもないんだけれど、事態はそんなに単純なものではないと僕は思っている。
他、ニュースやワイドショーも震災10年ばかりをやっている。たまたま僕が見た時にそれが被ったのかもしれないけれど、コロナのことをやってほしい。
ワクチン接種率はG7、G20の中で日本が最下位だという。ある研究では日本の接種率は0.04%だという。この数字を見ると1%に達するまでまだまだ先が長いように感じられる。
あるタイプの注射器を使用すれば、ワクチン一瓶で7回接種が可能であるとも言っていた。しかし、それは正規の分量ではないはずである。それは工夫でも新発見でもなく、敗北である。正規のもの、規定のものが受けられないということを意味するのではないか。
もっとワクチンを国内で製造しなければならない。治療薬も開発していかなければならない。輸入に頼っている限りこの状況は打破できないと僕は思っている。
ワクチンは争奪戦の様相を帯びている。僕がワクチンを売る側で、需要を完全に満たすことができず、売る相手を選別しなければならない立場に立っていたとすれば、どこを優先するだろうか。僕だったら、感染者の多い国を選ぶ。次に感染対策をしっかりしている国を選ぶ。後者は要するに、ワクチンに頼る前に自分たちでできることをまずはやってくれという意味だ。できることを全部やってからワクチンを求めに来いと言う意味である。
オリンピックやるからといって優先されるわけではない。交渉された製薬会社は「首相を出せ」と言ったらしい。大臣じゃ話にならんということだろうか。普通の営業で言えば、「社長を出せ」ということであり、僕がこれを言いたくなるのは、営業がよっぽどのトンマか不愉快極まりない人間である場合だ。だから、一体、どんなワクチン交渉をしているのか非常に気になってしまう。
オリンピックといえば、聖火ランナーを辞退する人たちも増えているそうだ。芸能人や有名人の辞退が報道されていた。聖火ランナーで走ることが一生に一度だけのことであるとすれば、それを辞退することも一生に一度の経験である。そこに拘る必要もなさそうに思う。
もともとのデザインではスタジアムに聖火台がなかったのである。聖火なんて不要なんじゃないか。それに、その象徴的な意味がきちんと斟酌されているようにも思えないのである。ただの賑やかしのイベントのように僕には見えてしまうのだ。そんなイベントに参加してもなんの誇りにもならないのだから、辞退してもいいのである。
僕は自分がマトモとも思っていないのだけれど、テレビなんか見ていても何一つまともな感じがしないのである。すべてがくだらないし、すべてが不要なものばかりだ。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)