3月5日(月):酒の誘惑
昨日は仕事が終わってから、JR周辺を歩いていたのだけど、無性に酒が欲しくてならなかった。商店街の辺りに確かバーがあったなと思い出す。フラフラと足がそちらの方に向いてしまう。幸いなことに、日曜日だったおかげか、店が休んでいた。店の定休日に救われたようなものだ。もし、開いていたら、中に入って、ウイスキーでも呑んでいたかもしれない。ここまで断酒を続けてきたのだ。もう少し耐えようという気持ちに今はなっている。
酒が欲しくなるのは、自分の中に満たされない思いがあるからだ。僕は内面にそれをふつふつと感じるのである。何かで満たしたくなるのである。この感覚は以前ほど強くないし、それに悩まされる強度も大したことではなくなっている。それでも、時折それを感じると、酒か何かで満たしたいような気持に襲われてしまう。昨日はそういう状態だった。
依存症は治らないという愚かな説を信じている人も多いようである。僕はそうは思わない。もっとも、ここで言う「治る」をどのように捉えるかによって考え方は変わってくるのだけれど。依存症の段階に留まったまま依存対象を禁じている状態だから、「治らない」というように見えるだけのことだと思っている。依存症の段階よりも一段高い段階へと入れば依存対象に惹かれなくなるものだと僕は捉えている。階段で喩えれば、依存対象に出会う前の段階がある。この段階に戻ることが「治る」ということであれば、それは確かに不可能であろう。そこから依存症の段階がある。この段階に留まっている限り、依存対象に依存しようと我慢しようと、同じ心の状態のままである。この段階で依存対象をひたすら我慢しているというような人も、僕は断酒会でたくさん見てきた。僕が言うのは、もう一つ上の段階に足を運ぶことである。もう一段上に上がるということは、下の段階を見ることもできるし、下の段に降りることも可能である。仮に降りたとしても、一度は上の段に登っているのだから、すぐに上がれるだろうと思う。さらにもう一段上に上がれば、二段も降りようと思わなくなるものではないか。
僕はこういう考えをしているので、今僕がしなければならないことは、下の段に降りることではなく、また、下の段に降りないように自分を律することではなく、もう一段上に上がることである。だから、僕は更に変わっていかなければならない立場にある。僕自身はそう捉えている。
今日はYさんに無理を言って、少し仕事を手伝ってもらっている。パソコン関係の作業は僕一人ではまったく手に負えないのだ。それで手伝ってもらっている。今、僕がこれを書いている後ろで、彼女に雑用をしてもらっている。無料奉仕させてしまって申し訳ないと思うが、酒ではなく、Yさんのことをもっと考えていきるべきだと、僕は自分でもそう思うのだ。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)