3月31日(月):月末にて
今日は月末で、月末作業と月初め並びに来月の準備関係のことをしておかなくてはならない。それで、午前中はずっと外回りのことをやった。いくつか銀行に行き支払関係を終わらせ、郵便局で振り込みをし、来月必要になる諸々の消耗品を買っておいて、午後に職場に着き、これを書いている。
明日からは消費税が上がるということで、どことも買い溜めを勧めている店ばかりだ。僕はまったくそういうことをしない。100円の商品が、現在105円のところが108円になるというだけのことだ。1万円の買い溜めをしてもその差額は300円にしかならないのだ。おまけに秋にはこれが10パーセントに上がるというのだから、その買い溜めに意味があるのかと思う。なによりも良くないことは、みんなが物価の話ばかりしているということだ。他のことが意識に上らなくなってるんじゃないかって、僕は心配になる。
オイルショックの時、人々はこぞってトイレットペーパーなんかを買占めした。そういうものが手に入らなくなると当時の人たちが信じていたからだ。後から見ると、滑稽だなと感じる。もちろん、僕はその時代、まだ何も知らない幼児だったから、現実に見てきたわけではない。でも、人はそれと同じことを今も繰り返しているのだなと感じる。一体、日本人は進化しただろうか。
モード・マノーニの『反―精神医学と精神分析』を読んでいる。折にふれて手にしたくなる本で、これまでに繰り返し読んでいる。その中で、「(精神)分析の研修は、分析家志願者が<患者>と同一視する方向よりも、<精神分析家になる>という幻想を目標にした研修の方向に向けられてしまった」(p241)という一文に、昔はひどく感激したものだ。今回、読み直しても、やはりそれを忘れてはいけないと自分を戒めたくなった。
しかし、<患者>、クライアントに同一視する方向はやはり辛いものである。それは昔よりも今の方がよく理解できる。この前の、月曜日もそうだったけれど、土曜日もまた辛い一日だった。
ここ数日のことを書こう。僕は毎日いろんな体験をする。それを意識するかしないかで人生の色彩も変わってくるものだと思う。
土曜日に来られたクライアントたちからも僕は何がしらのものをいただいてしまった。気分が重く、独りでいることに耐えられないような思いがした。よろしくないことに、その夜はやはり酒を飲んでしまった。本当は、酒よりも、誰かと居たいのだ。
よく行くバーに行く。顔見知りの女性と会う。一緒に飲みに行きましょうと、彼女は電話番号を教えてくれた。酒を控えようとしている時に限って、こういうお誘いが増えるのは皮肉なことだ。もう一人、そんなふうに誘ってくれている女性がいる。どちらも断ることができず、ズルズルと先延ばしにしている。
隣で、カラオケで歌うグループがいた。改めて考えてみると、カラオケっていうのは自閉的というか自己中心的な遊びだなと気づいた。歌っている本人だけが気分良くて、こちらは大声張り上げて会話をしなければいけなくて、その女性との会話にも僕はヘトヘトになった。会話自体は楽しいのだけれど、声を張るのがしんどい。工事現場でお喋りするようなものだ。カラオケって、ああいう音を出す遊びだからこそ、気遣いとかマナーっていうものが一層大事になるんじゃないかと思う。カラオケを楽しむこと自体には反対ではないけど。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
(付記)
この日のブログは長文なので、内容に応じて、3回に分けることにした。
この時、消費税が引き上げられたのだったな。5%のうちに買い溜めしても、いずれは8%の値段で買うようになるのだから、あまり意味のない買い溜めだと思う。
(平成28年12月)