3月30日(木):ミステリバカにクスリなし~『八千万の眼』
エド・マクベインの87分署シリーズ。
人気コメディアンのスタン・ギフォード。彼のテレビショーは4000万の視聴者を釘付けにしているほどである。今夜もスタン・ギフォード・ショーが始まる。いつものように彼はテレビカメラの前で演技ををし、パントマイムを披露する。いつもと違うところは、演技の最中、突然、彼は苦しみだし、そのままステージで倒れたのだ。4000万人の、8000万の眼が見守る中で彼は死んだのだ。
捜査に当たったのはスティーブ・キャレラとマイヤー・マイヤーの両刑事。死因は毒によるものであることが判明したが、不可解な事実にぶつかる。カプセルが胃で溶けるのは6分くらいである。しかし、その間、スタンはずっとテレビに出ていた。薬を口に含んだ様子はない。一体、いつ毒が服用されたのだろうか。
キャレラとマイヤーがスタン殺しの捜査を進めている間に、バート・クリング刑事は別の事件に当たる。今でいうところのストーカー事件だ。一人の女性、シンディを執拗に付け狙う謎の男をバートは追う。
バートとシンディとは『10プラス1』で顔を合わしているらしい。シンディはバートを好かない。それでもストーカー男をおびき寄せるために、彼女はバートとデートする。ストーカー男を刺激して、バートに矛先を向けようという作戦だったのだが、これが裏目に出て、シンディの方が襲われてしまう。
バートはこの案件を他の刑事に代えてほしいと主任警部に頼むほどだったのだが、責任を感じたのか、バートのこの後の活躍が目覚ましい。ストーカー男にパンチを食らわすバートに喝采だ。
スタン殺しの方は、いわゆる衆人環視における殺人という不可能犯罪を扱っていることになる。毒薬のカプセルに細工がしてあるという技術的に生み出された不可能犯罪であり、ディクスン・カーのような巧みさはないものの、それなりになるほどと思えるものではある。
殺人現場がテレビ番組の収録であるところから、数多くの人間が現場に出入りしている。さまざまな関係者を洗うくだりはいささかまどろこしく、中盤はちょっとダレる。87分署シリーズは、推理小説ではなく、刑事の捜査活動を描く小説(と僕は思っている)なので、事細かに捜査を描く必要があるのだろう。バート・クリングのメモとかストーカー男の似顔絵まで挿入されているほどだ。
そして、案の定、二つの事件が並列的に解決する。それらが混ざりあって、新たな様相を見せるということはない。スタン殺しとストーカー男とは、それぞれ個別に解決されていく。中編二作品を一本にしたような感じである。考えようによっては豪華な内容とも言える。不可能趣味を取り入れたことも意欲的な感じがする。
個別の事件であるが、それでもこの二つの事件に共通性を認めようとすれば、それは愛ということになるだろうか。狂った愛とでも言おうか。愛のためにどうすることもできなくなってしまった人たちを描いていると見ることもできるかと思う。
スタンの事件では、何かと薬学に関する知識が得られる。そういうところで知的好奇心は満たされる感じがしている。
本作は1966年の刊行である。日本でも外国でも、テレビが一般家庭に普及した時代である。テレビショーでの殺人事件という設定も当時の社会風潮を踏まえているのかもしれない。
また、女運の悪いバート・クリング刑事がシンディと良い仲になりそうな気配がするのも、個人的には、魅力である。クリング刑事に春を迎えてほしいと祝福したい気持ちになるのは僕だけだろうか。
さて、本作の唯我独断的読書評だけど、エンターテイメントとしては十分に面白い。でも、推理小説ではない(僕は頑なにこれを主張するのだけれど)、両者を総合して3つ星半、いや、おまけして4つ星にしておこう。
<テキスト>
『八千万の眼』(Eighty Million Eyes ,1966)エド・マクベイン著
久良岐基一 訳 ハヤカワミステリ文庫
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)