3月3日:僕の気苦労

3月3日(土)僕の気苦労

 

 昨日はたいへんな一日だった。午後からのクライアントと面接していて、僕は自分がとても価値がなく、空しい存在に思われていた。恐らく、そのクライアントが体験してこられた感情と同種のものだろう。昨日のクライアントとは、今後は縁がないかと思う。偽りの自己を生きて来られて、これからも偽りの自己で押し通す決断をされているからである。すでにそれが上手くいっていないということが証明されているにも関わらず、彼はそれを押し通そうとされるのである。僕がいくらそこを伝えても、恐らく彼には伝わらないだろう。昨日はそれで随分苦悩したものである。まあ、いい。彼の人生なのだ、彼の好きなように生きればいい、いつか後悔することがあっても、それは彼の責任だ、今ではそう思うようになった。

 僕の持論は、人間はそれに真剣に取り組むのなら、半年もあればかなり変容するということである。もし変容が見られないということであれば、それは真権に取り組んでいないか、取り組み方が正しくないか、取り組む点が間違っているかのどれかだと僕は考えている。彼は半年前からこのような問題に悩んでいたのであるが、動きがそれほど見られないということは、どこかが間違っているのだろうと僕は考えているのだ。だからもっと違った面に目を向けなければならないのだ。僕の見立てではそうなのだ。でも、彼は今までと同じことをやっていこうと決断されている。如何なる変化も彼には受け入れられないことだろうと僕は思う。それにこのカウンセリングは彼自身のものではなかったのだ。僕の言う「強制クライアント」に近い人だった。紹介者の顔を立てるために受けに来られたという面が多分に認められたように思った。彼が自分自身のためにカウンセリングを受けるのでなければ、やるだけ意味がないだろうと僕は思うね。

 まあ、その人のことはそれでいい。他にもいろいろ言いたいこともあるけれど、そんなことは読んでいる人にはどうでもいいことだ。それに彼個人の事柄だから、詳細に述べるわけにもいかない。

 しかし、昨日の彼に限らず、どうして人は一回のカウンセリングで劇的に変化するなどというマンガのような幻想を抱くのだろう。僕は不思議に思う。確かに本当に苦しんでいる人はそういう期待をしてしまうものだということは理解できる。彼がそれを期待しているということは、彼が本当に苦悩していることの証拠なのだ。でも、一時間の面接で劇的に変化するような問題なら、その人はとっくにそれを克服していなければおかしいはずである。つまり、それはその程度の問題だということである。面接一回分の悩みに過ぎないということである。彼が一回の面接で解決する程度の問題を解決できないはずはないと僕は思うし、どのクライアントもそこまで無能ではないものだ。克服することがあまりに困難で、自力ではどうにもできないから援助を求めるものだろう。それだけ問題は大きくて、困難なはずである。だからこそ長い年月に渡って、その人はそれを抱え続けてきたはずである。それだけの大問題だからこそ、克服には時間がかかるものなのである。この当たり前のことがクライアントに分かって貰えなくて、僕はこれからも苦労するのだろうな。

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー

 

 

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