3月3日(日):スナックのママと力士たち
今日、日曜日で飲み屋がことごとく休んでいた。日曜日もやっているはずなのにという店が何軒か今日に限って休んでいる。高槻の駅界隈は真っ暗けで、寂しい限りだ。
そこで、普段は行かないけれど、今日はスナックに入った。この店は昨年、飲み友達だったY君に教えてもらった店だ。去年の10月のことだったようだ。その日、一回会っただけだけれど、ママさんは僕のことをよく覚えていてくれていた。仕事柄、お客さんのことをしっかり覚えておくのだろう。
前回のことを僕はほとんど覚えていない。そう言うと、ママさんはがっかりしたようだ。前回、僕はママさんの手を握って、一生懸命口説いていたというのだから、僕としては驚きだ。それですっかり記憶にないなんて言われたら、ママさんががっかりするのも理解できるというものだ。
ママさんは愛嬌があって、人当りも柔らかい人で、好きだけれど、それ以上には発展しないだろうな。僕がそうなるのを拒むからだ。今度、一緒にご飯に行きましょうと誘われて、その時は行こうと言ったものの、心の中ではそういうことにはならないようにしようと決めている。
友達は多い方がいいとは思うけれど、今はあまり友達付き合いをしたいとは思わなくなっている。何て言うのか、そういう気力が涌かなくて、友達との関係が負担に感じられてしまうのだ。だからY君とも、保険屋の姉さんとも、僕は縁を切っている。
そうそう、そのスナックに行ったのは、Y君がもうあそこには行かないと憤慨して豪語していたからだ。だからそのスナックに行けば、少なくともY君と顔を合わすことがないという理由だ。
そのスナック、前半は良かったのに、後半は力士たちのせいで台無しだ。大阪場所の関係で、力士さんたちが6人で入店してきたのだ。彼らが騒ぎまくるので腹が立った。また一層、相撲取りが嫌いになったね。騒ぐなら、店を借り切ったらいいのにと思った。
スポーツ選手の中には、結果さえ出せばそれで万事OKだと考えている人もあるかもしれない。僕はこれを「結果至上主義」と名付けているのだけれど、結果さえ出せば過去のことが許されるなんて話は現実にはないものだと僕は考えている。
僕はよく言うのだけれど、人は3:4:3に分かれると僕は捉えている。3割の肯定派と3割の否定派、そして4割の無関心派に分かれるというものだ。結果を出しても、歓喜するのは肯定派で、4割の無関心派が一時的に関心を持つだけなのだと思う。3割の否定派は、彼らが結果を出そうと、やはり否定派のままなのだ。僕はそう思う。
だから、今日の相撲取りたちが、将来関取になったとしても、僕はやはり彼らを否定的に見てしまうだろうと思う。まあ、その頃には彼らのことなんかすっかり忘れてしまっているかもしれないが。
そんなこんなで、後半が台無しになって、なんとなくつまらない気分で僕は家路についた。店が休んでいるのなら、今日は諦めておけばよかったなと思いつつ。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)