3月22日(日):選択
この土日は少しばかり忙しかった。
朝、職場に着いて、面接の準備をしている時、僕はいつになく落ち着いている自分を体験した。
今日は朝から夕方辺りまで予約で埋まっていた。
夕方から、妙にやる気が出てきて、いろんな活動を始めた。
いわゆる依存症なるものについて考えていて、何か参考になる本を探す。取り敢えず、書架から二冊選ぶ。
一冊はコクトーの『阿片』である。これはけっこう凄まじい本だ。180ページほどだけど、一気に読み終える。昔、一度読んだきりの本だったけど、今回もやはり凄いと思った。
それからもう一冊の方を3分の1ほど読み、秋の検定試験のための勉強を少しする。その他、論文を2つほど読んだ。
今日、クライアントから「先生はどんな遊びをするんですか」と訊かれて、参った。世間一般の人が言う遊びなるものは、僕にはほとんど縁がないからだ。ギャンブルもしないし、旅行とかもしない。テレビも見ないし、せいぜい一人で呑むくらいだ。2,3日前にも「先生は休みの日とか何をしているんですか」とクライアントから尋ねられた。「休みの日は出勤してる」と僕が答えると、相手はジョークだと受け取ったようだ。事実なのだが。
確かに、趣味とかハマっていることはある。でも、遊びとは言えないかもしれないな。改めてそう分かった。好きなことの一つに本を読むことがある。はっきり言って、活字中毒だ。何か読んでいないといられないのだ。れっきとした依存症である。
僕はこの依存症を歓迎している。もっともっと読みたい。
夕方、必要なものがあって、買い物をしたのだけれど、そのついでに書店を覗く。読みたいと思う本がたまらなくある。それは僕の中で新しい課題として僕に突き付けられているようだ。僕はそれに立ち向かいたい。
ちなみに、今日は酒を呑まなかった。酒よりも、本を読んでいる方を選んだ。僕は正しい選択をしたように、今は感じている。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
(追記)
今も変わらない生活だ。酒を飲むか、本を読むか、何か他のことをするか、僕たちはいちいち自分の行為に関して選択を迫られている。あまり選択ということを意識しないだけのことも多いのだけど、常に選択することを僕たちは求められているのだと思う。
(平成29年6月)