3月22日(月):キネマ館~『民族の祭典』『美の祭典』
1936年、ナチス政権下のドイツで開催された第11回オリンピック大会のドキュメンタリー映画。レニ・リーフェンシュタール監督で、1938年公開だったかな。
『民族の祭典』は第1部で、主に陸上競技を、『美の祭典』は第2部でその他の競技を収録している。第1部から観てみよう。
『民族の祭典』
まず、オープニングだ。ギリシャのアテネから時空を超えてベルリンのオリンピック会場まで、競技者の映像を、さらには聖火リレーの映像を織り交ぜながら描く。このオープニングだけで20分近くある。さすがに長すぎる感じがするのだけれど、それだけ長い年月と距離を経て続いていることを示しているのだろうか。
続いて映し出されるのは入場行進。参加国もそれほど多くなく、競技数も今よりは少なかったのだろうと思うのだけれど、現代の大会に比べるとこじんまりした感じがする。スタジアムも運動場といった雰囲気だ。ちょっと規模の大きい運動会みたいな様相で、この時代のオリンピックだったら僕も好きになれそうだ。そして、聖火ランナーによる聖火台への点火の厳かな様子が映される。
ヒトラーの姿が映り、開催が宣言される。以後、ちょくちょくヒトラーの姿が画面に登場する。続いて各国の報道陣も各国語でオリンピック開始を報道する。
砲丸や円盤なんかの投擲競技から始まる。選手たちのウエアがけっこう自由な感じだ。それってジャージちゃうんとか言いたくなる選手もある。割と自由な感じだったのかもしれない。
短距離のスタートはスターターが無いんだ。選手は足を引っかける穴を地面に掘るんだ。それに800メートル走でもクラウチングスタートで走るのね。時代を感じさせる映像だ。
日本の選手も頑張っている。三段跳びとマラソンで優勝している。その他、棒高跳びなどではメダル獲得している。応援している日本人も日本人ってすぐわかるのはなぜだろうか。
マラソンも意外だった。これは折り返しコースを走るもので、現代みたいにスタートからゴールまで走りっぱなしということでもない。給水場では立ち止まったり、普通に選手が歩いたりしている。あまり記録ということにもこだわっていないのかも。なんとはなしに、ずいぶんおおらかなマラソンだなと思った。
女子の4×100メートルリレーでは、優勝候補のドイツがぶっちぎりで先頭を走っていたのに、まさかのバトンミスで失格。こんなことが起きるものだ。ヒトラーの視線に圧力を感じたか、まあ、それはどうか分からないけれど。
高跳びでは背面飛びをする人はいない。まだこの時代にはなかったのかな。100メートル走は10秒4くらいの時代だったんだ。技術や記録は進歩したのに、この時代のオリンピックの方が平和な感じがするのは僕だけだろうか。
いくつかの競技ではスローモーションが使用されている。アスリートの均斉のとれた身体、そのしなやかな動きから筋肉の躍動まで、身体美が追求されている感じがしていい。それに、三段跳びなんてなかなかスローモーションで見る機会もない。スローで再生されて初めて、ああやって飛んでるんだなどと発見があったりする。
最後に、あれは閉会式なのだろうか、それっぽい映像で終わる。
『美の祭典』
オープニング。森をジョギングする若い男性たち。彼らはサウナで一汗かき、池(プールではない)に飛び込んで泳ぐ。自然の中でスポーツすることの喜びを全身で表現しているかのよう。
最初の競技は体操だ。グランドに鉄棒やつり革、鞍馬を設置して屋外で競う。体育館の中ではなく、太陽の下で体操競技を見るのはなんか新鮮な感じだった。スローモーションを駆使して、選手のしなやかな身体の動き、その美をとらえる。
体操だけではなく、フェンシングも屋外でやる。このフェンシングの映像が凝っていて、地面に映る選手の影を最初にとらえて(屋内では撮れない映像だ)、そこからカメラが選手たちに移動していく。この演出も新鮮な感じがして印象に残る
乗馬、ボクシング、ポロ(でいいのかな)なんかも種目としてあったのだ。その他、ボート、ヨット、カヌーなんかの洋上の種目もある。ゴール前で転倒者が続出する自転車レースなんてのもあり、どれも自然の中で催された種目という感じである。ゴミゴミした大都会でやる大会では見られない光景が見られるのも面白い。
日本人選手は水泳競技で大活躍する。アナウンサーはドイツ語なので、「田口」(Taguchi)を「タグヒ」と呼んでいたりするのも、当然と言えば当然なんだけれど、なぜか新鮮な驚きもあった。「伊藤」は「イトゥー」みたいな発音になるのね。「Itou」と表記されてたのかな。ドイツ語の勉強にもなったりして。
ドイツ語と言えば、数字が難しい。「23.89」という数字は、日本語では前から順番に、2,3,8,9と読んでいくけれど、ドイツ語では、3,2、9,8の順に読む。つまり「ドライウントツバンティヒ、ノインウントアハティヒ」と読む。訳すと、「3と20、9と80」ということになる。ドイツ語を勉強していた頃には、「え~と、なんぼかいな」と大いに悩まされたものだった。
エンディングは、閉会式ではなく、聖火台の聖火の映像で終わる。聖火リレーはこの大会が最初だったのではなかったかな。ドイツから始まったと何かで読んだ覚えがある。
この時代のオリンピックは簡素というか素朴だったと思う。現在みたいな利権がらみのビッグビジネスではなかった。ホント、田舎で日曜日に開催される運動会、それも少し規模の大きい運動会といった感じである。
運動場と客席の距離も近く、応援している人たちも平和そうだ。時代的に言えば、大恐慌と第二次大戦に挟まれたひと時の平和な時代だったと思う。選手も観客も純粋に競技を楽しんでいる雰囲気がある。日本語タイトルにある「祭典」という言葉がピッタリだ。「人類がコロナに打ち勝った証」という言葉がピッタリするような大会って、どんだけ血なまぐさくて闘争的なんだろうって思ってしまう。
ただ、主催のドイツ側の人たちが軍服姿だったりするのはいただけないけれど、それもまたそういう時代だったのだろう。数年後には戦争に突入して、およそ10年後にはドイツは敗戦し、東京も焼野原になってしまう。大会はそんな悲劇の予兆さえうかがえないほど平和的だ。そう見えるだけなのかな。
繰り返しになるけど、この時代のオリンピックだったら好きになれそうだ。スポンサー企業の人たち、JOCはじめオリンピック関係者たちも、一回観てほしい作品である。
映画としては、ドキュメンタリーてのは特にたいへんだと思う。その瞬間を撮影しないと、やり直しがきかないのである。リハーサルをしてもらえるわけでもないので、すべて一発勝負である。
一つの競技でも、何台もカメラを設置して、あらゆる角度から撮影したんだろう。それを編集していく。それも観客に飽きさせないように工夫を凝らしていることだろうと思う。ドキュメンタリーはドキュメンタリーで相当な苦労を要するものだ。そう考えると、映画を一本作るってのはたいへんな作業なのだと改めて思う。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)