3月20日(木):寝なくても死なない
昨夜は徹夜だった。晩飯抜きの徹夜仕事はちょっときつかった。今朝はそのまま職場に出て、仕事をしている。今、昼休みにこれを書いている。
もっと眠くなるかと思いきや、まったく目が冴えて仕方がない。帰りの電車の中で寝て、職場で少し横になっただけだ。それで十分だ。
人間は寝ないと死ぬというのは迷信なのだ。多くの人はそのことを知らないと僕は思う。この迷信の根拠となったのは、19世紀末に行われたある実験である。犬を眠らせないでおいたところ、その犬が死亡してしまったという実験なのだ。でも、その死因は睡眠とは直接かかわるものではなかったし、20世紀に入って同種の実験をしたところ500時間眠らせなくても犬は死ななかったという結果が出た。ウサギやネズミで実験しても、やはり死には至らなかったそうだ。
人間で実験した場合でも、結果は同じだった。人間を被験者にした実験は、1896年に行われ、90時間寝なくても大丈夫だったと報告されているし、日本では1967年に同様の実験が行われ、100時間寝なくても被験者は死ななかったと報告されている。1964年に外国で行われた実験では、17歳の男性が264時間起き続けていて、当時の最長記録を樹立したと言う。
要は寝なくても死なないということなのだ。寝てないということよりも、そのことで不安に陥る方が害が大きい。
再び断酒をしている。最後に飲んだのが月曜日だったので、まだ今日で3日目だけれど、しばらくは続けられそうだ。飲酒欲求はほとんど感じられない。
空腹は禁酒に良くない。このことは経験上よく知っている。腹が減ったら、少しでも食べて満腹感をもたらしておかないと、食欲から飲酒欲求に発展してしまう。だから食事もきちんと摂取しようと思う。晩御飯抜きの徹夜なんて御法度だ。もっとも、昨夜は食べる時間がなかっただけのことなのだが。
最近、新聞や雑誌なんかを読んでいると、通販の広告に目を止めてしまうようになった。以前なら素通りしていたページなんだけれど、ついつい見てしまう。欲しいものはないのだけれど、見ていると欲しくなってくるから不思議だ。
中にはそれがあると便利そうだなという品物もあるけれど、購入した後のことを考えると、僕のことだからすぐ飽きてしまうだろうなどと思ってしまい、一気に熱が冷める。
しかし、そんなふうにモノを欲しがるなんて、愛情に飢えているのかな。
愛情に飢えていると言えば、その通りだ。感情的に結びついたパートナーが欲しい。モノの延長のような、あるいはお互いのアクセサリーのような関係はもうイヤだ。
交際していたYさんとは何らつながっている感じがしない。飲み屋の女性にメル友になってくれと頼んで、何回かメールのやりとりをしたけれど、それも何か求めているものとは違うように思えたので、僕の方から止めてしまった。
僕は一度も結婚したことがない。飲み屋で働くある女性はそれが意外だと言う。なぜ結婚しなかったのと彼女は尋ねる。僕は正直に思っているところのものを答えた。結婚して家族を築くことに自信がないだけだと。
彼女はその理由を聞いてくる。これに対しては、僕は二番目の理由を挙げておいた。仕事が不規則かつ不安定で、忙しいときと暇なときの波がけっこう激しくて、家族を養うことの負担がとても大きく感じられるからだと。
楽観的な彼女は僕を心配しすぎだと言う。社会にはいろんな制度があって、それらを活用すればやっていけるわよと。確かにその通りなんだろう。
僕は仕事柄いろんな夫婦の話を聴いてきた。大抵は上手くいかなかった夫婦の話だ。恋愛ごっこをしているような夫婦、神経症的な共謀関係に入っている夫婦、感情転移性の恋愛をしている夫婦、なんら感情的に結びついていない夫婦、お互いに便利な道具のような存在価値しか認めていない夫婦などなどだ。当然、上手くいかない夫婦関係だ。破綻する夫婦たちだ。
結婚するということ、まったく異なった他人と一つ屋根の下に住むということ、それをできるようになるためには男性も女性も多くのものを身に付けていなければいけない。僕にはまだまだ足りないような気がしている。
今、最終のクライアントがお帰りになられた。無事に一日を過ごさせてもらった。今日会った人たち、新たに出会った人はいないけれど、再び顔を合わせることができるということも幸せなことだ。お互いに無事に再会して、次回もお互いに無事でいて、一緒に時間を共有したいという感情が、どこからか湧いてくる。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
(付記)
結婚云々の部分は3月10日分でも触れている。別に重複しても構わないのだけど、前にも書いたということを忘れてしまっていたのかもしれない。
(平成28年12月)