3月20日(土):判断の誤り
今朝も早く起きて、朝5時から勉強開始。
6時から朝食。その時、テレビがついていて、何気なく見ていた。NHKの番組だろうか、「リロンくん」てのをやっていた。見るともなしに見ていたんだけれど、それがなかなか面白かった。
行動経済学の基礎となった「プロスペクティヴ理論」(だったかな)を紹介していた。テレビで見た実験を取り上げよう。
(条件1)コイン投げをして、表がでたら200万円獲得できるけれど、裏が出たら何もなし。
(条件2)コイン投げをしなくても100万円獲得できる。
この二つの条件のうちどちらを選択するかというのだけれど、僕は(条件2)を選ぶ。出演者もそれは同じだった。無条件で100万円もらえる方が得である。
次に、200万円の借金を抱えているという前提で、次のどちらを選ぶか。
(条件3)コイン投げをして、表が出たら200万円(借金帳消し)、裏が出たら無報酬。
(条件4)コイン投げをしなくても100万円(借金半減)もらえる。
僕は当然(条件4)を選んだ。でも、出演者は(条件3)を選ぶんだ。僕の感覚はおかしいのかな。借金が50%の確率でゼロになるよりも、100%の確率で半減する方が絶対にいいと思うのだ。僕はけったいなリスクのない方を選ぶ。
余談だけれど、この実験、「囚人のジレンマテスト」を思い出す。ホントに余談だ。
なぜ、人が(条件3)を選んでしまうかという説明がなされていて、それが「プロスペクティブ理論」なのだそうだ。僕にはさっぱり分からん。
この理論を考えた経済学者はノーベル賞を受賞したそうである。だから、すごい発見なのだろう。
発明した経済学者の原体験がその後で紹介された。ここから少年とナチス親衛隊員の話になる。
彼は子供の頃はナチス統治下のパリに住んでいた。ある時、少年が一人で歩いてると、向こうからナチスの親衛隊員がやってくるのが見える。少年はユダヤ人なので、逮捕、連行されると思い、恐れたそうだ。
しかし、親衛隊員は親し気に少年をハグする。そして自分にも少年くらいの年齢の子供がいるんだという話をする。そこから少年にお小遣いをあげたのだったかな。
この時の体験から、少年は学問に打ち込むようになる。親衛隊員は少年がユダヤ人であることを見抜けなかった。人はなぜ判断を誤るのかを彼は研究するようになったわけだ。
彼の見解では、判断のほとんどが直観に頼っているということである。これは言われなくても分かっていることである。大抵の場合、判断はとっさになされることが多く、じっくり考えさせてもらえる余裕のない場面でなされるからである。ただ、判断の後で、あの判断が果たして正しかっただろうかと反省する人とまったく反省しない人とがいるだけである。
それはともかくとして、少年とナチス親衛隊員の話に戻ろう。少年は親衛隊員が判断を誤ったと判断したわけだけれど、少年のその判断は正しいだろうか。判断の誤りを犯しているのは果たしてどちらなのだろうか。あるいはどちらも判断の誤りをやらかしているのだろうか。
僕はこう判断する。親衛隊員が一人で歩いているということは、彼が非番である可能性が高いと思う。それに、何らかの任務を帯びているのであれば、単独で行動せず、歩兵なんかを引き連れていただろうと思う。この親衛隊員が非番であったとすると、少年がユダヤ人であることが分かっていても、彼は逮捕しなかった可能性が高そうである。
ナチスはいわゆる「ユダヤ人狩り」をしたけれど、あれは命令されたからそうしたまでのことである。命令がなければそういうことはしないし、ドイツ人の皆が皆、ユダヤ人を憎悪しているわけではないのだ。ナチスによる残虐行為はすべて上からの命令によるものであって、その行為を実行した人たちの意志によるものばかりではないのだ。そういう命令が下されなければ、そういうことをしない人たちも多いのである。
これは少し偏見が入るかもしれないけれど、ドイツ人は極めて勤勉である。任務はきちんとこなす。その代わり、ヴァカンスはヴァカンスでしっかりとるのである。オンとオフをきっちり分けるところがあるように、僕は個人的にだけど、そう思うのだ。
この親衛隊員が非番であったから少年は助かったのだ。もし、後日、この親衛隊員がユダヤ人狩りの命令を受けて、そこでこの少年と再会したとしたら、彼は間違いなく少年を逮捕したことであろうと思う。
判断ミスをしたのは少年の方だ。少年はあの場面でこう判断するのが正しかったと僕は思う。「向こうから親衛隊員が来るけれど、単独で歩いているところをみると非番なのだな、それなら逮捕される心配はないや」と。
それでも少年時代のその経験が学問を志すことにつながったのだから、それはそれでよかったのだろう。しかし、行動経済学ってね、面白いのかね。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)