3月20日:コロナ・ジェノサイド~僕の戦い

3月20日(金):コロナ・ジェノサイド(10)~僕の戦い

 

 イタリアでのコロナ感染者数が中国を上回ったそうだ。イタリアにとっては自国の汚名につながる公表であるが、なかなかイタリアは立派だとも僕には思えている。検査をせずに数字をごまかしている国はもっと見習うべきである。そして、そんなイタリアが諸外国から非難されているだろうか。

 むしろ、非難されているのは日本の方だ。日本はもっとも危機意識の低い、もっとも危険な国だと思われつつあるようだ。今後、日本差別は加熱していくかもしれない。

 

 そもそも、トップがどうしようもない。このような状況にあってもオリンピックは当初の予定通りに開催するなどとトボケタことを言っているのだから。

 ニュースで読んだが、イギリスがオリンピック代替国として名乗り上げているらしい。日本はもうどうしようもないと思われているのかもしれない。それに、ロンドンでオリンピックが開催されても、日本は出場できないだろう。日本人はお断りと言われるかもしれない。選手すら拒否される可能性だってある。

 そして、今、無観客で聖火リレーが行われている。本当ならもっと日本でも話題になり、盛り上がっていただろうイベントが、こうして地味で、まったく目立たないニュースになってしまっている。現状での予定通りの開催とはこういうことである。

 

 今日から三連休ということで大阪府知事は兵庫県への行き来を大阪府民は慎むように公言した。三連休もへったくれもないだろうと僕は思うのだけれど、知事としてはこの三連休を自宅ないしは居住する市区町村内で大人しくしておいてくれということなんだろう。

 それならそうと言えばいいのだ。兵庫県に特化したような話なのでどうしてもヘンテコな印象を受けてしまう。兵庫県に限らず、近隣府県への移動を自粛するように、と言えばいいのだ。

 兵庫県は感染者数が多いからだということらしいが、一県に特化したような表現をすると差別的な色彩を帯びてしまう。正直に言うと、僕は若干の差別意識が働いているとにらんでいる。

 

 このコロナに対する差別意識は一般の人にもある。感染者としてニュース番組なんかに出た人が差別的な言動に晒されているという。コロナにかかるともはや人間ではないといわんばかりの差別である。

 この差別がもたらすものは何かと言うと、検査と治療の忌避である。検査さえ受けなければ差別は受けないのである。検査を受けて陽性と判明した瞬間に人間から脱落してしまうのである。それなら最初から検査も治療も受けない方がましなのである。

 もし、個々の人がそのように考えたとすれば、いくら検査体制を整えても無意味である。検査を受けるよりも、受けない方が安全なのだから。

 

 すべてが失敗である。政府の対策も何もかもがである。

 これからコロナ不況がやってくる。どれだけの人が自ら命を絶つだろうか。その数はコロナ感染者を上回るだろうと僕は予想している。

 いっそのこと100兆円くらいお金を刷って、国民一人につき100万円くらい支給すればいいのだ。100万円あげるから一切の労働と外出を控えてくれと、そうしてくれればいいのである。

 それなのに、政府ときたら無利子の融資をするとかワケ分からんことを言う。無利子の前に無審査の融資だろうと思うのだがいかがなものだろう。さらに、融資以前に給付する方が早い。

 給付案は一人につき10万円と聞いた。せめて50万円は寄こせと言いたい。と言うのは、この状況が続き、今後も尾を引くだろうから、せめて2,3か月分の給与に匹敵する額を給付しなくてはいけない。

 しかし、贅沢は言わない。10万円給付すると言うのなら、早く寄こせ。ところがバカな議論が生まれている。収入何千万円あるような人にとって10万円は意味がないなどといった反論もある。そんな一部の高額収入者のために給付が引き延ばされるのでは、低所得者はやりきれないことだろう。収入の高低に関係なく、全員がコロナ騒動で何らかの損失を被っているのだから、均一に支給すればいいのである。

 もう一度ハッキリ言う。早よせえ、と。

 

 悪徳商法も後を絶たない。マスクが通常の10倍の値段で販売されていたり、コロナ予防に効果があるというお茶が売り出されたり、ひどいものである。このコロナ騒動で明らかになったのは、政府の無能さだけではなく、国民の倫理の喪失である。人間性の喪失である。ハッキリ言えば、日本国民はここまでヒドイのかと呆れるほどである。

 

 子供たちは学校が休校である。卒業式や終業式もまともになされないまま翌年を迎える。長い春休みを今は過ごしている。

 ところがである。親切か不親切か分からない大人たちが子供を集める。家にいてすることのない子供たちに居場所を提供してあげようということだ。そうして子供たちを集めている。一体、何のための休校なのか、もはや休校の意味がないのである。大人たちが思考力を失っているのではないだろうか。

 

 同じことは会社員の時差出勤にも言える。混雑を避けるために出勤時間をずらすのである。ところが、どことも同じようにずらすものだから、ラッシュ時間が後にズレ込んだだけのことである。電車は、確かに多少はましになっているのかもしれないけれど、相変わらずの混雑ぶりである。9時の始業を10時に変えたところで、他も同じことをやっているから意味がないのである。いっそのこと、9時から5時までの8時間を、15時から23時までの8時間にずらすなど、あるいは7時から15時までの8時間にするとか、大幅にずらした方がよさそうに思う。

 昨日は、帰宅時に帰宅ラッシュに巻き込まれた。と言うより、いつもの風景、コロナ以前の風景とさほど変わりはなかった。まったく無意味である。

 

 僕はと言えば、とっくに自粛を解除している。不要不急の外出も平気でやらかしている。それを守って、何が達成されるというのだろう。自分の首を絞めるだけだ。

 僕のような自営業者にも保障すると言っていたが、それが一日4000円ほどだ。一日4000円もらうくらいなら仕事をバンバンやってる方がましだ。僕は僕でコロナと戦うが、政府には従わない。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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