3月19日:怖いのはポスト五輪

3月19日(金):怖いのはポスト五輪

 

 今、夕方の5時。今日はまだ終わってないけれど、手が空いたのでブログを書いておこう。

 昨夜は早目に寝たおかげで今日は朝の4時頃に目が覚めた。5時から勉強している。そこから12時間、けっこうフルで活動している。

 

 コロナはとんだ災厄だ。日本はまだ感染者数が少ないとも言われている。確かに欧米の数字と比べたら少ない。これは検査数の問題もあるけれど、文化や習俗の違いもあるだろうと思う。

 日本では、握手したり、ハグしたり、キスしたりといった習慣がない。親しい人同士でも接触する機会がほとんどなかったりする。人と直接接触する機会のない文化であったことはラッキーだと思う。

 密に関してもそうだ。日本でも密が形成されるけれど、欧米の密とはまた感じが違うという印象を僕は受けている。外国の密は本当に密集している感じだ。日本の居酒屋なんかで見かける密は、まだ隙間があいていて、それぞれ自分の席が決まっていて、そこからあまり動かないといったところがあるように思う。そういうのも良かったのだろう。

 また、国土の8割近くが森林という地理上の条件から、花粉症が多く、マスク着用に抵抗がない。これもまた良かったのだろう。

 もし、感染者数が本当に少ないのであれば、それは政府の政策のおかげではなく、日本の文化とか風習とかのおかげと言わなければならないように思う。

 

 しかし、感染者数が少ないのに経済的ダメージが大きいというのはどういうことか。これは結局、観光で成り立っていた部分が大きかったからだろう。その他、製造業においても輸入に頼らなければ何も作れないといった資源の問題もあるだろうと思う。

 政府の経済対策といえば、せいぜいゴートゥーくらいなものだ。給付金、支援金の類は出し渋っているありさまだ。まだそれは許せても、コロナ対策の費用まで出し渋るありさまなので、もうモノを言う気もしなくなる。

 ワクチンの国内製造は全然話が見えてこないし、治療法の確立も現状ではどないなっているのかまったく不明だ。もっとそういう方面に資金を投入すべきではないだろうか。アベノマスクに莫大な費用をかけるなんて愚の骨頂としか言いようがない。

 

 政府が金を出し渋るのは、おそらくオリンピックのためだ。こんなものは早く中止した方がよい。日本はその決定権を持たないらしいのだけれど、中止の方向で打診することはできるだろう。

 3兆円規模のオリンピックだ。さぞかし豪勢なイベントになるだろう。無観客で、しかも外国の選手を招待できないという、やるだけの意味があるのか問いたくなる大会となるだろう。

 オリンピックに関して、また問題発言があったそうな。何を言ったのかは知らない。芸人の渡辺直美さんの容姿に関することらしい。そんな問題が多発するくらいなら即刻中止をすべきである。そのままズルズルと続けても、新たな問題発言なんかが生まれてしまうことだろうと思う。差別発言の被害者が今後とも生まれるだけである。あんな無意味でバカらしい大会のために傷つく人を今後とも生み出すなんて、それこそバカらしい話だ。

 

 関東の一都三県の緊急事態宣言が解除されるそうだ。この宣言はもともと感染者ゼロを目指したものではなかったのだから、いずれ下げ止まりが来ることになっていた。その下げ止まりが来たから解除ということなのだ。

 この宣言、二週間で終息させるとか、一か月延長するとか、期限で設定したのが間違いである。その期間は協力した、何が悪いねんって国民も言えるのだ。むしろ、感染者数がここまで、病床使用率がここまで下がり、その状態を一週間続けた時点で解除するといった形にした方が良かったのだ。期限ではなく、数字を目標にした方がいいのだ。

 カウンセリングでも自分で期限を設定するクライアントがいる。3か月で良くなりたいとか、一年で治すとか、自分でそうおっしゃるのだ。それは本人の目標設定のように見えるけれど、実際はそうではないのだ。期限そのものは目標とはならないものなのだ。あくまでも付加的な意味合いしか持たないものである。

 では、なぜその人たちはそういう期限設定を自分に課すのかというと、要するに、その人が取り扱うことのできる限界を示しているのである。その人が考えることのできる限界範囲、あるいは耐えられる限界範囲を示しているわけである。3か月で良くなりたいと訴える人は、その人の持つことのできる時間展望が三か月先くらいしかないということなのだ。そこから先は思い描くこともできないのだ。

 従って、こうした期限設定はその人の無力感とか敗北感なんかと関係していることになるのだ。宣言に関する政府の期限設定も僕は同じようなものだとみなしている。

 コロナに関して、政府はもうお手上げなのだ。政府がお手上げになるとは、国民は見放されたということを意味するのだ。僕は日本はすでにそうなっていると信じているのだけれど、これが僕の個人的な妄想であることを願う。

 

 さて、ポストコロナよりも、ポスト五輪の方が僕には恐ろしい。オリンピックを強行して、その後にどんな悲劇的状況が訪れるのか、今はそれが一番怖い。

 しかし、まあ、こんな話を始めると、それこそ尽きることなく話してしまいそうなので、今日はこれくらいにしておこう。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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