3月19日(火):イワシ5匹100円
今日は定休日だ。お彼岸ということもあって、午後から家族で墓参りをすることになっていた。
午前中にいくつかの仕事をこなす。この一週間の面接の記録を書く。最近、クライアントの記録に対しての考え方がぐらついている。どこまでこういう記録を残すか、どれくらいの正確さで記すかなど、何かと悩む。
音声データは保存する。これもいつまで保存するかという悩みがある。個人的にはせっかく出会った人たちなので、ずっと保存しておきたいという気持ちがある。いつでも聞き直せばその人と再会できるような感じがする。加えて、過去の人のことがだんだんと記憶から薄れていくことが僕には耐えられない思いがする。どうしても忘却していってしまう。いつまでも覚えているということができない。もし、記録や音声データが残っていなければ、その人のことを本当に忘れてしまうのではないかといった妙な心配がある。
まったく個人的な理由にすぎないかもしれない。まあ、深くは考えないで、とりあえず、紙データも残しておこうと思い、この一週間分くらいの面接記録を書く。面接中に書いたメモなんかに基づき、あとは記憶をたどりながら、時にはちょっと面接の模様を聞き直しながら、記録を書き残す。
アクシデントもあった。今日は記録を書くつもりでいたので、昨日、ある程度の記録用紙を持ち帰っておいたのだ。それがなくなりそうになったので、急遽、コピーするために近くのコンビニに走ったりもした。
それでほぼ午前中が費やされることになった。
午後、母が帰宅してから墓参りということになった。今日がレンタルDVDの返却日でもあったので、帰路は途中で下車することにした。
墓参り自体はすぐに終わった。僕は珍しく父にモノ言った。父は過去においてもよくそれをしていて、その都度、僕は不快な思いをしていたんだけれど、今までは何も言わなかった。今日はそれを言ったわけだ。
父が何をするかと言うと、例えばろうそくに火をつける時なんかに、平気でお隣さんやお向かいさんのお墓の領域に入り込むのである。僕はそういうのはバチ当たりな行為のように思えてならないのだ。自分たちのエリア内でできることなんだから、他所の領域を借用する必要はないんだけれど、まあ、父はあまりそういうことに無頓着なのかもしれない。そういう無頓着さは兄にもあるだろうし、きっと僕にもある。僕自身は気を付けているつもりだけれど、常に上手く行っているとは限らない。
さて、墓参りを終えて、僕は途中下車する。業務スーパーが道中のあるので、そこで下ろしてほしいと僕は頼む。駐車場があるので、路肩に止めるよりもやりやすいだろうと思ったのである。
スーパーに駐車すると、父たちも買い物をすると言いだして、一緒に買い物をすることになった。僕は明日からの昼飯を買っておこうと思っていた。即席ラーメンを一週間分くらい用意しておこうと思ったわけだ。ありがたいことに、母は僕の分まで買ってくれた。
さて、その後は別行動だ。僕はレンタル屋に行き、DVDを返却する。また借りようかどうしようかで迷う。借りても鑑賞する時間が確保できるかどうか不明である。実は今回も5枚借りて1枚は未鑑賞のまま返却することになった。
まあ、そうなっても構わない。1枚100円でレンタルするのだ。未鑑賞で返却しても、1枚につき100円の損失に過ぎない。痛くはない。
と言うわけで、いつものように5枚レンタルする。2週間後にこれを返却だ。2週間中にこれをせめて2回ずつ鑑賞したい。
歩いて帰宅。夕食。イワシのフライがおかずにある。父曰く、「5匹で100円だった、安い」とのこと。
実は僕はそういうのに少し抵抗感がある。「イワシが5匹で100円」と言う時、努めてそれは商品の値段だと思うようにする。生命の値段ではないのだと自分に言い聞かせる。コンビニに抵抗感がないのは、すでに調理されたものしか販売していないからである。チキンが150円とか言う時、それはそのフライドチキンの商品価格であるということが分かりやすいからである。
スーパーなんかはモノによる。肉は動物の原型をとどめていないのでまだましである。魚はものによっては生前の姿のまま陳列されていたりする。そういうのはちょっと値段をつけられると生命に値段がついているような感覚に襲われる。
一番足を踏み入れることに抵抗があるのはペットショップである。カゴというかオリというか、その中に動物が入っておる、生きておる。その手前に値段が張られていたりするわけである。この動物の生命の値段のように僕には見えてしまうのである。その動物の生命に値段が付されているように思えてくるのである。
まあ、あくまでも僕の個人的な感情だ。食べるためには食材を買わなければならないし、その食材に値段がつけられないといけない。5匹で100円のイワシ、一匹あたり20円のイワシのフライを僕は美味しくいただきました。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)