3月17日:葛藤のない時

3月17日(土)葛藤のない時

 

 今日は昨日に比して、幾分気持ちが楽である。今、仕事を終えて、喫茶店でこれを書いている。一時間ほど本を読んで、それから今日のブログを書いていないことを思い出して、書き始めたのであるが、飲酒欲求はまったく感じない。心の葛藤が解消されると、本当にラクになるものだ。

 酒のことを考えなくなると、禁煙のことを考えるようになる。また、その他に新しいことに取り組みたいような気持になる。これも葛藤がなくなったおかげだろうか。葛藤がなくなったと言っても、これは一時的なものなのだろうとは思う。いずれまた飲酒欲求に悩まされる日が来るだろう。酒の問題を完全に解決したなどとは考えていない。そういうのは思い上がりでしかないものだ。

しかし、問題が解決していなくても、一日でもそれに悩まされない日を経験するということが大切なのだ。僕はその点を特に強調したい。と言うのは、クライアントはしばしばそこを理解していないからである。「問題」や「病」が生じていない状態が体験されている、たとえわずかな期間でもそれが体験されているということは、その人に希望が持てるように僕は体験するのである。クライアントはそういう状態にある時間のことを無視して、「治っていない」と自らに評価を下すことが多い。でも、見方を変えると、これは「治癒」を体験しているということである。その意味において、こういう体験が非常に重要なのである。そういう状態を認識しているのとしていないのとでは、その人の予後にけっこう影響するものなんだ。

 それはともかくとして、昨日は飲酒欲求に襲われて悶々とした夜を過ごしたが、今日は晴々とした時間を過ごしている。気持ちは非常に穏やかである。本を読んでも、よく頭に入る。余計なことで頭が占められていないからである。

 でも、こういう時もけっこう危ないのである。読んでいて煙に巻かれるかのように思われるかもしれない。今日は安全だと思っている時に、僕の場合はだけど、返って油断が生じたりする。だからこういう時に飲酒してしまったということを過去に経験しているのである。問題から解放されている状態を体験することは大切であるが、それで終わりと見做さないようにしなければならない。一時的なものだと僕が言ったのはそういう意味である。まだまだ用心するに越したことはない。

 では、この問題が本当に解決したということが、どういうことから分かるだろうか。僕には二十年以上の飲酒歴があるが、その中では面白かったことや学んだことも多々ある。その一方で、僕は酒呑みだった自分を後悔している。後悔とは、有る物を有る物としてみないことである。有る物を無ければよいものとして見ていることである。僕はそう考えている。酒呑みだった自分、その時代を、僕は無ければよかったのにという思いで抱えているわけである。それが有る物として、有るがままに抱えることができるようになれば、僕は酒の問題を本当の意味で克服できたと公言できるのである。もし、そのようなことが達成されたとしたら、僕は酒呑みだった自分に対して、否定も肯定もしなくなるだろう。そうなると、僕は過去の一時点に留まることを止めることになるので、僕はより現在的に生きるようになっているだろうと思う。抽象的な表現にならざるを得ないのだけど、「治る」とか「克服する」とか「解決する」というのは、そういうことなのだと僕は捉えている。

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー

 

 

 

 

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