3月16日(火):自覚
今日は定休日である。しかし、あれこれやろうと思うことがあるので高槻の職場に出る予定であった。彼岸でもあり、両親が墓参りに行くと言うので、僕もそれに同乗して、そこから高槻に直行する計画を立てていた。
ところが、朝起きると、非常に具合が悪かった。特に腹具合が芳しくなく、朝も昼もほとんど何も食べられないくらいであった。
ともかく午前中は寝て過ごす。墓参りには両親だけで行ってもらう。
午後から、少しだけ具合が回復してきたので、外出することにした。外の空気を吸いたいのと、少しばかり体を動かしたいという気持であったからだ。
最初は近所を散歩した。体がやたらと重い。いや、ダルい感じの方が近いかな。コロナの倦怠感かとも思ったが、相変わらず熱はない。
電車に乗る。行く当てはなかったけれど、長岡天神で下車する。駅近くの古書店はまだ営業しているだろうか。行ってみる。健気に営業していた。
特に絶版になっているわけでもないけれど、機会があれば読んでみたいと思っていた本が叩き売られていたので、それを購入する。その他、哲学系の小著を数冊買いこんでしまった。
それからウォーキングの再開だ。ここまできたんだから天神さんにお参りに行っておこうと思い立つ。夕方になっていたのもあるだろう。境内にはほとんど人がいない。それならそれで好都合だ。ゆっくり、静かに参拝する。
もっと勉強したい。もっと学びたい。それだけを祈願する。
天神さんを後にして駅に向かう。そろそろタバコが欲しくなってきた。いつもならこの辺りに来た時に利用するパチンコ屋があるのだけれど、そこが改装中で営業していなかった。ちょっとショックである。本当は天神さんの前に喫煙しておきたかったのだ。
もう一軒、阪急の駅の東にパチンコ屋さんがあったのを思い出し、そこに行けば喫煙場所があるだろう。あったあった。座って一服。
ホント、人生って何だろうなあなどと思いに耽る。その時代その時代をそれなりに頑張って生きてきたと自負しているつもりだけれど、一体、それで何が残ったのだろう。そんなこと何も考えずにパチンコ打っている人たちの方が幸せな人のように見えてきた。
自覚とは自ら覚ることだと、今日買った本に書いてあった。その通りだと思う。僕はもっと新たに自覚をしていかなければならない、そんな気分になっていった。
喫煙を終えると、考え事も中断して、帰宅の途につく。今日買った本を紐解く。帰宅後もそのまま本を読み続ける。夕飯は多少とも胃に入った。食欲も少しだけ回復したようだ。
体調悪かったけれど、それはそれで良かったかもしれない。わずかでもリフレッシュできたのであれば、それでいいか。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)