3月12日(木):人生は痛みとともに
火曜日の晩ごろから右ひざが痛みだした。骨折したのは左ひざだ。いよいよ右ひざにも来たかと、不安に襲われる。このままでは両足がダメになるのではないかと、気が気でなかった。
昨日は、そういう不安を抱えながらも、とりあえず、一日の予定はこなした。意外にも、午後からはあまり痛みを感じなかった。鎮痛剤が効いているのだろうか。
それで、今日は絶対に病院に行くと決め、仕事や予定をすべてキャンセルした。
朝のうちに、杖を突き、痛む足を引きずりながら、近所の病院に行く。一日仕事になるのを覚悟していた。
結果、午前中で終わった。検査の結果も最悪のものではなかった。骨には異常がないとのことであった。レントゲン写真を僕も見たけど、右ひざはキレイなものだった。
何かの炎症によるものだということになる。ツーかとも思ったが、ツーではもっと晴れるはずだということで、却下。結局、原因はよく分からない。ばい菌による炎症だろうということになり、抗生物質を処方された。
杖を突き、痛む足を引きずって、今度は病院から家に帰る。早速、薬を服用する。膝はあまり動かさないように、安静にしておいてくださいと言われていたので、横になる。そのまま夜まで眠ってしまった。
こんなにぐっすり、長時間寝たのは実に久しぶりだ。よく寝た。薬を服用後、高槻に出ようかと最初は考えていたのだけれど、無理しなくて良かったかもしれない。
今日の整形外科で、受付の人がリハビリですか、注射ですかと患者さんに聞いていたのを思い出す。注射はヒアルロン酸の注射のことだろう。母もひざに水が溜まったということで注射を打ってもらっているので、それのことだろう。
その注射って痛いのか、僕は母に尋ねてみた。母曰く、すごく痛いとのこと。
生きるとは痛みとの闘いだ、と僕はそう感じた。僕のひざも、一番最初に痛みを感じたのは中学生の時だった。以後、断続的に痛みを経験している。確かに、四六時中痛いとかいうわけではないんだけれど、繰り返し、痛みは経験している。
同じく、ツーの奴も繰り返し経験している。やはり痛いのである。
おそらく、僕だけではあるまい。大部分の人が大なり小なり痛みを抱えながら、痛みと戦いながら生きているのだと思う。痛みに負けるわけにはいかないのだ、あらためてそう感じる。
この痛みは身体的なものばかりとは限らない。精神的な痛みもある。精神的な痛みの中には、その人が生きていく上で、あるいは改善していく上で、経験しなければならないという類の痛みもある。
クライアントたち、あるいは心を病んでいる人たちは、こうした痛みを悪と考える。いかなる痛みにも自分は耐えられないと感じていることもあるし、そうした痛みを与える人物はすべて敵だと思い込む人もある。人生は常に痛みとともにあることを決して認めようとはしないのである。
引きこもりの親たちもまた痛みを経験しているのだ。ひきこもりをしている子供は親を悪しざまに言うこともある。しかし、その子の生活を支えているのはその親である。この場合、経済的痛み(もちろんそれ以外の痛みもある)ということになろうかと思うのだが、やはり痛みを耐えていることに変わりはない。
右ひざに痛みがずっとある。こうして書いていても痛みを覚える。
僕だけではない。こういう炎症は他の人も経験するものだ。人が経験してきた範囲の痛みであれば、僕に耐えられないはずがない。自分だけ特別に不幸であるわけでもなければ、自分だけ痛みに耐えられないというわけでもない。今回の痛みも、必ず耐えてみせる、そして克服していく、そう意気込みを新たにする。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)