3月10日:抑うつとエネルギー

3月10日(水):抑うつとエネルギー

 

 うつ病とか抑うつ状態というものはエネルギーの低下した状態として説明されることが多い。クライアントたちもそういう認識を持っていることがけっこうある。お医者さんからもそういう説明を受けるようだ。

 うつがエネルギー低下状態であるという見解に僕も異存はない。ただ、エネルギーという観点だけから見るのはいささか問題もあるように思う。この点は後で述べよう。

 

 エネルギーが低下している状態であるなら、エネルギーを回復させればいいというのは自然な考え方だ。これも僕は反対しない。僕はなんでもかんでも反対する人間に思われることもあるのだけれど、決してそんなことはないのである。

 このエネルギー回復には二つの方向性がある。一つはエネルギーの消耗を減らすという方向である。もう一つはエネルギーの増幅を目指すという方向である。

 最初に試みられるのは前者の方である。後者は後回しになる。ところで、考えたいのは両者は同一の次元の話なのだろうかということである。

 しばしば、エネルギーの消耗をなくしていけば自動的にエネルギーが増幅されるといった認識に出会う。確かにそれは間違っていない。だからうつには休息が求められることになる。

 困るのは、休息さえしておけばいいと考えて、けっこうなエネルギー消耗をやらかしてしまっている人である。そういう人もいるのである。余計な活動をやってしまうのだな。それならもっとエネルギーを増幅させるような活動、それに資する活動をすればいいのにと思ってしまう。

 もっとも、彼が余計な活動をするのは他の理由がある。治療に対する抵抗と言ってしまえばそうなんだけれど、抵抗しているのは治療や治癒に対してだけではないようにも思う。まあ、そこは個人の話になってくるので省くことにしよう。

 エネルギー増幅のための活動とは、心身を整えるような活動である。健康的な活動のことである。心身に不調を来たすような活動は却ってエネルギーを消耗させるものだ。

 エネルギーというのは循環するという性質があると僕は思う。一つの活動にエネルギーは消耗されるけれど、その活動が新たなエネルギーを生み出すわけだ。エネルギーの消耗が新たなエネルギーを生み出すのだ。活動をするならそのような活動をした方がよいと思うわけであるが、言うまでもなく、それも無理はしてはいけない。

 

 さて、エネルギーの低下状態というふうに説明すると、エネルギーが回復したら治癒したと思い込んでしまう人もあるように思う。そういう人は気分がよくなったら治療をやめてしまうってことも起きてしまう。本当はうつから躁に移行しただけなのに自分では治ったと信じ込んでしまうのだ。

 躁になってしまうと、いくらこっちが説得しても無駄である。その気分高揚は悪くなる前触れであり、過去に何度も同じことを繰り返してきたでしょうなどと言っても馬の耳に念仏である。躁になると過去は切り離されていたりするのだ。あるいは、今回は違うなどと根拠のない自信に満ち溢れていたりすることもある。

 気分の浮き沈みということにも人によって違いがある。自己の連続性という観点で言えば、自己を連続的に経験している人も断片的に経験している人も同じように気分の浮き沈みを訴えるのである。前者は浮き沈みの幅を狭めることが目標となるが、後者は自己の連続性を形成することが目標となる。自己を連続的に経験している人は、過去においてこうだったでしょうという説明が功を奏するのであるが、分断している人は過去のことなど消失しているかの如くだ。

 うつに関しての理解が広まることはけっこうなことであるが、うつとはこういうものだといったようなステレオタイプな観念が一般の人たちに根付いてしまうことには反対したいところである。

 うつはエネルギー以外の観点も重要なのである。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

関連記事

PAGE TOP