2月9日:あるラーメン屋での出来事

2月9日(日):あるラーメン屋での出来事

 昨日は所用で一日外出していた。夕方には終わるだろうと思っていたが、案外早くに終わった。終わってから喫茶店で2時間ほど論文を読んだりして過ごした。それから梅田に出る。腹が減ったと思い、とあるラーメン屋に入る。そこのラーメン屋でのことだった。
 入口に券売機が置いてある。食券を買って中に入るという僕の苦手なタイプだ。これはどうしても券売機の前に立って、メニューを選ぶことになるから、券売機の前で時間を取る。その時に後ろで人に待たれたりすると、落ち着いていられなくなる。メニューを置いといて、決まってから券売機に向かうというシステムにしてほしいのだが、この辺りはどこの飲食店でも不親切だと思う。
 それはさておき、食券を買って、店内に入った。テーブルも厨房もない。客が両側の壁に向かってラーメンを啜っている。ちょっと異様な光景だった。
 席に着く。紙が一枚置いてある。麺の硬さとか、味の好みとかを記入するアンケート用紙状の紙が置いているのだ。それに記入する。壁からニュッと手が出て、用紙を回収する。店員の顔は見えない。店員はそれを持って、おそらく奥にあるのだろう、厨房へと消えていく。殺風景だと感じた。
 おまけに席の両サイドは衝立状のもので区分されている。つまりブースのようになっているのだ。ここまで隣と区切らなくてもと思う。周りを見回すと、みんなブースに囲まれるようにして食している。僕は無理だ。
 たまらなく閉塞感を覚え、吐き気がする。結局、気分を悪くしただけで、僕は店外へ出た。ラーメンを食する気になれない。僕は注文したラーメンを食さずに出たのだが、誰も見る者はいない。店員でさえいない。まったくの無人だ。客は個人の世界、幅50センチくらいのカウンターに向き合ったきりだ。自習室ならこの造りはありがたいと思うが、ラーメン屋でこれをやられると、僕は耐えられない。
 プライベートな空間とはまた意味が違うような雰囲気があった。明らかに外界をシャットアウトする世界だ。周囲を断絶し合った個人が隣り合わせで食事をしているわけだ。友達同士で食べに来ても、ブースに籠ることになるのだろう。その状況を強制されてしまうわけだ。僕はとても怖いと感じる。
 みんな平気で食事をしていたけれど、僕から見ると異常な光景だ。日本人の心の病もそこまで行き着いてしまったかという観がある。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 最近、このラーメン屋のことをテレビで見た。味に集中するためにあのような作りになっているのだそうだ。でも、そこまで周囲を断絶しなければ味が分からないようなラーメンなら、むしろ美味しくないということではないだろうか。
(平成28年12月)

 

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