2月8日(木):音楽を聴いて過ごす
今日もソツなく無難に仕事をこなす。昔ほど仕事に一生懸命になっていない自分を発見する。でも、それが良いことか良くないことなのか、僕には判断がつかない。僕があまり一生懸命になり過ぎると、却って、クライアントには負担に感じられるようだ。適度なバランスが求められるのだけど、それもクライアントによって異なり、自分としては何とも確定しづらい部分だ。
今日のクライアントは、毎週来られている方であるが、上手くいくようになったのは僕のおかげだとこの人は考えている。他にもそういう風に考えている方々もおられるが、それは正しくない。その人が上手く行くのは、その人の力なのだ。僕がその力を授けたとか、引き出したとか、そんなことを信じるほど僕は誇大妄想的ではない。
どの人もその人なりの「資源」を内に秘めているものだ。その資源がどのように活用されるかはその人次第なのだ。人を「治した」などと豪語するような臨床家はもっと謙虚になるべきだと僕は思うくらいだ。
空き時間はCDを聴いて過ごす。
最近は中古CDばかりだけど、それでも音楽を聴くためには音楽を買わなければならなかった世代の人間なので、CDを買う。もうCDも売れない時代になっているが、それにも関わらず、僕は音楽を買う。
今どきの人たちにとっては、音楽とは無料で聴けるものだということになるのかもしれない。欲しいレコードを入手するために、何軒も店を回るというようなことは、今の人たちはしないだろうと思う。ネットで探せば見つかるし、見つかると無料で聴くことができる。それが合法的であるか否かは別問題としても、探せば拾えるものである。
僕自身はあまりそうならないように願っている。無料のもので間に合わせる人は、無料のもので間に合わせるような生き方をしてしまうのではないかと思う。
ところで、中古で買う場合、必ずしも求めているものがあるとは限らない。本当にこれが聴きたいと思えば、新譜を買うだろう。今の僕にはそこまで思う曲やアルバムがない。中古CD店に行って、そこにあるものの中から、予算内で決める。かつて聴いた曲、興味のあるアーティスト、冒険で選ぶアルバムなど、そういうものを買うことになる。
こういう音楽の話も展開してみたい。前々からそう思っていながら、実現せずである。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)