2月8日:コロナ・ジェノサイド~人類総強迫化

2月8日(土):コロナ・ジェノサイド(1)~人類総強迫化

 

 相変わらず新型コロナウイルスの話でニュースもワイドショーも持ち切りだ。それだけ大きな問題であり、深刻であることも分かるのだけれど、こう毎日聞かされるといささか飽きてくる感じもある。

 電車に乗っていると、確かにマスク姿の人も多いのだけれど、マスク無しの人もけっこうある。マスクが手に入らないとかいう事情もあるかと思うんだけれど、あんまり行き過ぎるのもどうかと個人的には思ってしまう。

 そもそもマスクも完璧ではない。口の部分を手で触れるといけないとかあるし、何かの拍子にマスクをずらしたり外したりもあるから、あまり過信しすぎない方がいいかもしれない。

 マスクが足りないなら再利用できる手段を講じてもいいわけだ。洗濯して、消毒して、乾かして、それで繰り返し使用できないものだろうか。

 その点、呑兵衛たちは無頓着なもので、僕の飲み仲間連中もコロナがなんじゃいってな勢いだ。多少それくらいの気迫は必要かと思う。でも、呑兵衛のはそれはそれで行き過ぎである。

 

 コロナウイルスで亡くなるのは高齢者が多いそうだ。基本的に致死率は低いとされている。やがて抗体からワクチンが作られていくだろうし、ウイルスそのものも変化していくだろう。ウイルスも住み着いた生体が死滅していたら生き残れないので、弱くなっていくこともある。と言うか、住み着いた生体を死滅させるようなウイルスは滅んで、生体と共存できるように変化したウイルスが淘汰されると言った方が正確か。

 それで、接触感染とか飛沫感染とか、みんな過剰に気にしているけれど、心的感染の方が僕は怖い。心的感染なんて言葉はないんだけれど、マスクをしている人を見ただけで感染者と思ったり、あるいは中国人を見ただけで感染させられるとか、一方的にそう思い込んでしまうのは心的に感染しているようなものだと僕は思う。

 要するに、コロナ騒動に便乗した差別やヘイトスピーチが増えたとしたら、それは心的に感染しているわけであり、心的な意味でその人は感染者なのだ。

 

 それはさておき、今日もこういう場面をテレビで観たのだけれど、手洗いの仕方とかをテレビで教えていたりするんだ。手はこういうふうに洗いましょうっていうのを、実際にデモンストレーションして、どれくらい付着物が落ちていないかをわざわざ証明してくれたりするのである。

 こんなことをやると、みんな手洗い強迫になっちまうだろうな。多分だけれど、今回のコロナ騒動から強迫症を発展させてしまう人が多数現れるだろうと僕は予測している。コロナ騒動が鎮静しても、手洗いだけは止められず、さらに手洗いが過剰になってしまうっていう人が出てくるだろうな。

 いずれにしても、今回のコロナ騒動を見ていると、人類が総強迫化した観が僕には感じられる。ウイルスと接触するのを回避するだけでなく人そのものとの接触を回避する。ウイルスを敬遠するだけでなくあらゆる人を敬遠するようになる。ウイルスを隔離するのではなく人間を隔離する。街中ですれ違う人は自分にウイルスを感染させる殺人者か何かのように感じられてくる。人と現実的な距離を取るだけではなく、心的にも他者を遮断する。これらすべて、コロナの問題ではなく、心の問題なのだ。

 

 世も末である。コロナウイルス以上の悪夢が人間によって生み出されているかもしれない。何よりも、僕たちは本当にそのことに気づいているだろうか。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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