2月8日(水):「GKB47」?
「GKB47」が改められる動きが見られている。いいことだ。
「GKB47」というのは、政府の打ち出した「自殺防止」キャンペーンのキャッチコピーである。初めてこれを聞いた時、僕は「政治家はアホだな」と率直に感じた。
「GKB」とは「Gate Keeperナントカ」の頭文字を取ったそうである。僕はまともに聞いていなかったのでよく覚えていないのだ。
覚えていないのは、それが意味のある言葉に聞こえなかったからである。「ゲートキーパー」などと言われて、「ああ、あれか」とすぐに理解できる人がどれだけいるだろうか。しかも、その後にくる「47」とは何だ?という話になる。都道府県の数か、それとも他に何か意味があるのか、それもはっきりしない。まあ、何かの意味はあるのだろうけれ、「47」という数字が、安心感や安全感を連想させる数字であるかどうかも考えてみられたらよろしかろう。
このネーミングに賛成できない僕なりの理由は次の三点である。先述のように「GKB」と聞いてすぐに意味が分からないというのと、「47」という数字があまり安心感や安全感をイメージさせないということである。
二点目は、このネーミングが明らかに「AKB48」に乗っかっているということ。こういうのはあまり流行り物に便乗しない方がいいと思うのだが、いかがなものだろう。
三点目は、訴える対象が不明瞭であるということである。
最後の点は特に重視したい。「GKB47」とは誰に対して訴えたいキャンペーンなのだろうか。そこがこのネーミングでははっきりしない感じがするのである。自殺する人に訴えているのか、自殺しない人に訴えているのか、僕にはよく分からないのだ。
僕が自殺者ならこういう言葉には見向きもしない。僕が自殺者でなければ、変わったネーミングだなとか面白いなとかいうような興味は抱くかもしれないが、それ以上には発展しない。
このネーミングを考案した人に伺いたいものだ。あなたは誰かの自殺を本当に経験したことがあるのかと。防ごうにも防ぎようがなく、防ぐことができなかったこちらが死にたくなる思いをしたりするのである。本当に自殺する人は、周囲の人がいくら見張っていても必ず実行するものである。周囲が万全を期していても、わずかの隙を狙って実行されるのである。自殺を食い止めようとして試みた今までの努力がそこですべて水泡に帰す。この無念さと言ったら他にない。「GKB47」どころじゃないわけだ。
まあ、政府が「心の問題」に関して提出する案というのは、必ずどこかがズレているものである。僕は、これもその一例かと思って聞き流すことにする。
しかし、自殺防止のキャンペーンが「GKB47」と聞いた時は、こっちが死にたくなったね。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)