2月7日:ビギナーズラックは末期症状

2月7日(金):ビギナーズラックは末期症状

 

 医療費の見直しで、ギャンブル依存の治療は保険対象となるかもしれないそうだ。別にそれは構わないんだけれど、治療で何をするつもりなんだろう。GAのようなことをするらしい。テレビで観た。

 ギャンブル依存者が体験を語り合うのは、それはそれで有益でもあろう。しかし、「治療」という観点からすると、それだけでは不足である。

 僕は思う。当事者でないと分からないことって確かにあるだろう。しかし、当事者であるが故に分からないこともあるだろう。分からない者ばかりが集まって語り合っても分かるはずがないのである。

 僕も何人かのギャンブル依存者にお会いした。大抵の人が言うのは、いわゆるビギナーズラックを経験して、それからギャンブルにハマり、依存症になったというプロセスだ。ビギナーズラックの時点ではまだ依存症ではなかったという考え方なんだな、彼らの考え方は。

 ところが、僕からするとそれはおかしいのだ。ビギナーズラックの時点ですでにギャンブル依存症が完成しているのだ。むしろビギナーズラックは末期症状である。

 もし、ビギナーズラックがきっかけであるなら、どうしてビギナーズラックの依存症にならないんだろう。パチンコでビギナーズラックを経験したら、今度は競馬でビギナーズラックを経験しよう、その次は競艇で、さらにその次は競輪で、さらにその次は麻雀で、といった具合に、他になんぼでもビギナーズラックは経験できるはずではないか。

 その人はすでにギャンブル依存者であり、ビギナーズラックの方が後なのだ。それをビギナーズラックと捉えている時点ですでに依存者であることの証拠である。つまり、その現象は何でもないただの「当たり」でしかないのである。まぐれ当たりであるかもしれない。非ギャンブル依存者はそれをビギナーズラックとは認識しないのである。

 何を言っているのか分からないと思われそうだ。ギャンブル依存の問題はギャンブルにあるのではなく、そのパーソナリティや心の状態にあると、僕はそう認識している。これはアルコール依存でも同じなんだ。人格とかアイデンティティなんかと関わる問題なのだ。従って、ギャンブルを一度もしたことのないギャンブル依存者も存在すると思う。ちょうど、お酒を一滴も飲まないアルコール依存症者がいるのと同じで。

 アルコールを摂取しないアルコール依存者がいるのかと問われれば、僕はいると答える。それを理解したい人は断酒会に出席してみればいい。酒は飲まないけれど、心はアルコール依存のままという人がごまんといるから。ギャンブルでもきっと同じだろうと僕は思っている。

 話を戻そう。ビギナーズラック以前にその人の心はギャンブル依存なのだ。ビギナーズラックはその人の心の状態と一致する観念であるから特別なのだ。もし、それが一致しないなら、一回目のまぐれ当たりの経験なんてじきに意識から遠のいていく。いつまでもそれにしがみつくことはないだろう。単に過去の記憶となるだけだ。過去のものをもう一度取り戻そうとは思わないだろうと思う。

 いろんな見解はあると思う。ギャンブルをしない僕から見ると、ビギナーズラックは手遅れなのだ。その人はすでにギャンブル依存なのだ。本当はビギナーズラックなんてものは存在しないかもしれないのだ。そんなものどこにもありゃしないのだ。ギャンブル者だけが持つ観念にすぎないのだ。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

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