2月29日(水):騒々しさ
今日は前回の日曜日同様、家の用事で休業している。以前から約束していたことなので、それは仕方がないのだけれど、途中、二時間くらい待ち時間が生じた時には、僕は居ても立ってもいられないような気持ちに襲われた。なんだか、こんなことをしていていいのかっていうような気持ちに襲われ始めた。物凄い焦燥感だった。何かすることがあれば良かったんだけど、それは本当に待ち時間だった。何もすることがない時間だった。たまらなく不安だった。すごく自分が人生の時間を浪費しているように感じられた。パニック障害ってこういう時に生じるのだろうなと、僕は思った。
この焦燥感と言うか、不安というのは、僕が自分の使命を果たしていないような感情を抱いた時に生じたものだ。自分に無関係なことに、それが言い過ぎなら自分にとって周辺的な事柄に、ひどく拘束されていて、こういう状況が僕には耐えられなかったのだ。僕にはもっとやらなければならない事柄があるのに、それ以外のことに時間を取られ、心身を拘束されているということが苦しかった。
夕方、家に帰る。僕はすぐに高槻まで出てきた。パソコンを置いて出たので、サイト作業はできないけれど、他にも多くの雑用があって、少しでもそれらを片付けておきたいと思っていた。時間はいくらあっても足りなくなるものだ。室内の整頓をして、それから論文を三つほど読んで、自由連想を一回分書いて、さらに小説も読んだ。昼間の埋め合わせをするかのように、僕は自分の内面に蓄積していきたかった。何もしていない時間は、僕自身が空虚になっていくように感じられる。
僕は性格的にうつ病になりやすい方だと思っている。ある程度の強迫性もある。若い頃はいつか分裂病(統合失調症)になると言われたこともある。病理なんていくら抱えても僕は苦にしない。精神病になることも怖くはないのだ。でも、生きているこの時間が無意味になることが僕には耐えられない。僕が将来精神異常に陥るのなら、健全な内にしっかり生きていたいと願うのである。
20時までは職場で過ごす。それからは例によって喫茶店に入る。そこで書き物や読み物をしていたわけだ。周囲を見回すと他のお客さんたちがいる。若い人たちは特にそうだけれど、日本人は最近騒がしくなったと思うことはないかね。一昔前よりも遥かに騒々しくなったように僕は感じるのだ。真剣に生きることができていないことの表れなのだろうなと僕は思う。ちょうど、待ち時間に居ても立ってもいられなくなって、落ち着きをなくした時の僕と同じような感じなのではないだろうか。
芯が通って、地に足がついている人は騒々しさを求めないのじゃないだろか。そのような人はむしろ静かで穏やかな人間になるものじゃないかと僕は思うのだけれど、いかがなものだろう。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)