2月28日:生あるうちに

2月28日(日):生あるうちに

 

 今日で2月も終わりだ。史上最低最悪の一か月が終了する。新しい月に期待を寄せようと思う。もっとも、希望も出口もまったく無いのであるが。

 今回の緊急事態宣言は失敗の連続である。これからも失敗し続けるだろう。高槻は明日から解除されるけれど、中心の大阪市が宣言下であるならあまり違いはないかもしれない。大阪市は段階的解除にすると言うが、結局、3月7日までなんらかの宣言下にあることになるのだろう。

 僕はいっそのことロックダウンしてくれたらよかったと思っている。限りなくロックダウンに近いことをやったらよかったのにと思う。その場合、3週間でも十分だ。4週目から段階的に解除していけばいいのである。ダラダラと50日も続ける必要はないのだ。

 正確な日付は失念してしまったけれど、1月の前半に宣言が出たはずだ。それが延期になって3月まで踏み込んでしまっているのだ。これはさすがに長すぎる。

 ワクチン接種も始まっているが、これも絶望的な気持ちになる。僕は打てるのなら打ちたいと思っているのだけれど、いつのことになるやらである。僕は十年後を予想している。運が良ければ打てるだろう。

 

 このワクチンを一億人に接種するとしよう。しかも一人二回だ。二億人分の接種である。一日に二千人接種したとしても十万日かかるということになる。実に274年だ。一日に二万人のペースで一万日だ、およそ27年だ。十年くらいで終わらせようとすれば、その三倍近くの接種人数をこなさなければならない。つまり、一日6万人だ。一年で終わらせようとするなら一日60万人の接種が実現しなければならないことになる。とうてい不可能だ。

 もう一つ付け加えると、ワクチン接種が16歳以上だったかな。時間をかければかけるほど、それより下の年代層の人たちが接種対象に上がってくる。年々、接種者が増えていくことになるわけで、それ以上の接種を実現しないと永遠に終わらないことになる。

 政府の切り札とするワクチンだけれど、現状では絶望的である。政府主導のものは一切期待できないのである。

 

 こんなことを書いていると暗澹たる気分になっていく。でもへこたれるわけにはいかないのだ。生きるというのは並大抵のことではないものだ。一日一日を必死になって生き抜かなければならないのだ。

 生きているうちに、生あるうちに、生を実現していかなければならないのだ。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

関連記事

PAGE TOP