2月23日:継続は非力なり

2月23日(水):継続は非力なり

 仕事は激減しているものの、僕の方は毎日夥しい分量の作業に追われている。今、これを書いているのも24日の午前2時だ。
 夜遅くまで起きていると翌日に堪えるのだけれど、そんなことも言ってられない。まあ、今日の夕方と夜に少しだけウトウトしたけれど、それでもずいぶん回復するものだ。とにかく起きて作業を続ける。

 忙しすぎて、考える余裕もない。それが欠点であるが、今はそれでもいいことにしよう。考える時間が持てないほど作業をしていこう。

 どっちみち、人間はいつか人生を終えるのである。永遠に生きることなんて誰にもできやしないのだ。そして、その終わりがいつ来るかということも人間にはわからないのだ。十年後に終わりが来るかもしれないし、三日後に来るかもしれない。生きている限りは前に進んでいくだけである。

 僕の場合、長生きしたいとは思わない。とは言え、いつ死んでもいいとも思っていない。まだやり残しているものがたくさんある。少しでも終わらせて、人生のプラスマイナスをゼロに近づけておきたい。
 正直に言うと、あと2,3年は生きられたらそれでいいという感じである。ラッキーなことは、僕には嫁さんも子供もいないというところだ。そういう人がいたら死ぬわけにはいかないし、心残りをたくさん残して死んでしまうことになっていただろう。独りであることがありがたい。

 僕は今50歳だ。こんなに長生きするとは自分でも思っていなかった。50歳というと、世間ではまだ若いとか、まだ働き盛りだとか、そんなイメージをもたれるようだけれど、僕はそうは思わない。古い人間の仲間入りする年代だ。一世代30年と言われるように、若い人に世代交代しなければならない年代である。時代の流れは速く、一世代は20年くらいで考えたほうがいいかもしれない。今の20代の若者と40代は同世代の範疇にはいるけれど、50歳は一つ上の世代ということになる。

 僕は高槻で開業してから17年になるけれど、こんなものまるで無意味である。縦のものは今やほとんど価値が認められない。むしろ横である。幅の広さの方が評価される。
 つまり、一つのことを長く続けるということは今は評価されないのである。老舗や熟練というのは古臭い概念である。むしろ、いろんなことを幅広くできる人が評価されるのだ。僕としては面白くない時代になったと思っている。
 マルチな人間が評価されるので、いわゆる「スラッシャーズ」と呼ばれる人が注目されたりするわけだ。スラッシャーズとは、「/」(スラッシュ)がつく人のことである。日本語では「兼」に相当する。
 だからそういう人は「A/B/C」(A兼B兼C)みたいな肩書になる。そんなことを言うと、僕だって「経営者兼カウンセラー兼事務員兼清掃人」と言えないこともないのだけれど、最後の二つなんて無きに等しいものだ。
 いろんなことができたほうが強い。一つ一つはほどほどであって構わないし、中途半端であっても構わないだろう。とにかくマルチになんでもこなせる人間がウケることだけは間違いなさそうだ。
 一つのことを17年続けてきましたなんて言っても、尊敬されることなんてまず無い。むしろ無変化な人間、無発展な人間だと思われるかもしれないし、「いい加減新しいことやったら」などと呆れかえられるかもしれない。

 時間は、現代ではほとんど価値が置かれない。時間をかけて完成させるよりも、短期間で作りあげることに価値が置かれる時代だ。時間をかけてトレーニングを積んで達成するよりも、合理的に短期間で達成することが目指される時代なのだ。アスリートが低年齢化するのはそのおかげである。
 芸能なんかもっとひどい。キャリアの長い芸人さんなんてほとんどいない。大多数が一発屋である。その一発屋が面白いかどうかよりも、目新しいのが次々に登場してくれるということが視聴者にとっては助けになるのだと僕は思う。
 お店とかでもそうで、流行りものの店が次々に出来てはまた新しくなっていく。テナントを借りて短期勝負で商売をし、流行が去ったら店舗を改装して、新しい流行りものの店に新装開店する。こんな経営をやっている人もあるのだ。
 それに関しては僕は実感として持っている。僕がコンビニでバイトしていたころ、2000年前後の数年であるけれど、その当時でさえ、長く売れる商品が生まれないなという実感を持っていた。ロングセラー商品が生まれないのだ。確かに、ロングセラー商品なんてそうそう生まれるものではないかもしれないけれど、それでも息の長い商品がないなと感じていた。
 例えば食品なんかでも毎週新商品が出る。カップ麺なんか毎週2,3アイテムは必ず新商品が出るのである。そして、最初の一回目を発注して、それで終わる商品もけっこう多かった。よくて二回目までだ。買う人は最初の一個を買うのであるが、二個目が無いのである。その新商品の購買者にはなるけれど、リピーターにはならないのである。その場合、1ケース12個を売りつくすのにかなり時間を要するのである。
 その当時から、肝心なことは、長く売れる商品を開発することではなくて、いかに新しい商品を次々に展開して客の目を奪うかにある、と僕は感じていた。仮に売れる商品が出たとしても、一時的に売れるだけで、すぐに下火になる。そして、新しい商品が出ると、購買者はそちらに流れるのである。

 あれから20年、その傾向はさらに増加しているように僕は感じている。継続に価値を認める社会ではなっているように僕には思われている。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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