2月23日:アイドルファン事件

2月23日(日):アイドルファン事件

 ワイドショーを見ていたら、こんなニュースを耳にした。某アイドルのブログに殺害予告のようなメールを送りつけ続けた男性が逮捕されたというものだ。
 こういう事件自体は昔からある。シャロン・テートやジョン・レノンのように現実に殺されてしまうという事件さえ数多くある。有名人はそのような被害に遭いやすいものだ。ただ、時代によりその手段は異なるが。
 今回の事件では、これも従来から見られる通り、容疑者はそのアイドルの熱狂的なファンだったそうだ。彼の言い分では、そうすることでそのアイドルから注目されようとしたということだ。
 彼のことはそれ以上に何も知らない。これから報道されたりするのかもしれないが、どういう人なのか全く知らない。でも、その動機はエディプス期の失敗に帰せられるような話だ。
 崇拝する対象から特別視されたいという願望やその対象を独占したいという欲求が子供にはあるものだ。この対象は、初期では親であり、年が上がるとアイドルやスターだったりするし、さらに成長するとそれが教祖になったりする。
 この願望、欲求は自己愛の文脈に属する話である。つまり、素晴らしい人から特別扱いされている私は素晴らしいという文脈であり、それは個人の自尊心を高める経験である。
 ところが、多くの場合において、このような願望や欲求は断念しざるを得ない。それが普通のことであり、正常なことでもあるのだが、確かに辛い体験にもなる。
 そうして崇拝する対象に向けていたエネルギー(リビドーと言ってもいい)は、それらを断念することで言わば宙ぶらりんになる。行き場のないエネルギーは同胞へと向かうことになる。つまりアイドルのファンどうしで同一化や取り入れ、一体感とか親近感が生まれることになるのだ。家族関係で言えば、かつてはライバルどうしであった兄弟姉妹の間の関係が良好になるのだ。
 縦の関係を断念することで、横の関係が生まれると言ってもいいかもしれないが、この経験は後の集団への適応を助けることになる。だから、この過程をうまく経なかった人は集団への適応が難しいということでもある。いつまでも縦の関係を求めてしまう。崇拝する対象と一体になりたいとか、特別になりたいとか、独占したいというようなことを延々と求めることになる。
 この容疑者の男性もそのような人だったかもしれない。彼も、私生活では集団適応で、同胞関係で困難を感じていたかもしれないと、僕は思う。事件を起こす前に、何か手を打つことができていれば良かったのにと、このような事件を見聞する度に、残念に思う。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 ファンがいやがらせ行為をするというのは、昔からスターやアイドルにはつきものの話だった。ただ、時代が進むほど、そのツールが異なってくる。もし、100枚の手紙を書いて郵送するとなると、たいへんな労働となるだろう。でも、メールで100件送付するのはそれほど労力がかからないかもしれない。ツールが便利になるほど、迷惑行為もお手軽にできるようになるということだ。労力は削減でき、与えるインパクトは倍増し、そして執拗に継続することができる。使用する人間が進歩しない限り、ツールはいつでも凶器に早変わりしてしまうものだ。
(平成28年12月)

 

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