2月20日:縁を切る人 

2月20日(土):を切る人 

 

 無事に一日が終わる。ありがたいことだ。 

 朝の内はまだ足が痛かったが、だんだんましになってきた。回復の兆しが見え始めている。それに、今日はやたらとトイレに行く。これもいいことだ。 

 食事は朝も昼も食べるが、あまり食欲がなく。その代わり、夕食の頃には激しい空腹に襲われ、ちょっとドカ食いしてしまう。反省すべきところだ。 

 仕事の方はそれほど忙しくはないが、コラムを2本作成したり、その他の原稿を書いたり、それなりに作業を行う。 

 

 昨夜は少し飲んでしまった。いい酒にはならなかった。さっきまで店で飲んでいた人が戻ってきて、カバンを失くしたと言って、慌てていた。年取って、酒ばかり飲んで、あんな風になるのは、なんだか惨めな気持ちがした。 

 退職して、もう現役時代の肩書なんて外してしまえばいいのに、それのできない人もある。飲み屋でも、自分は大手企業の重役だったと偉そうに鼓舞するけど、そんなの現役を退いたら関係ないじゃないか。仮に彼が大手企業の重役だったとしても、僕はその企業の関係者でもなんでもない。偉そうな態度をして、それでどこの飲み屋さんからも嫌われる人間がいるものだ。 

 

 嫌われると言えば、友達ができないと嘆いている人に会う。人間関係が苦手だとか、ひきこもりだとか、そういう問題を抱えている人からよく発せられる言葉だ。 

 これは100%の確率で言えることなんだけど、友達ができないと嘆いている人は、まず、それまでに友達を「切って」きた過去があるものだ。せっかくの友情を自ら絶交してしまうわけだ。そんなことを散々やってきて、今になって友達がいないとなっても、僕から見れば当然の成り行きなんだ。 

 どの人にも、過去の人生において、数は少なくても、親しくしてくれた人がいるものだ。その人たちと関係を切ったのは自分なんだ。それを忘れているのだ。だから一人ぼっちになるのは当然なんだ。因果応報というわけだ。 

 そこで、あんなふうに友達を「切って」きたことを改め、これからは友達を大事にするとか、志を新たにするっていう人はまだいい。ところが、恨む人もある。お門違いもいいとこなんだけど、過去の友達や、現在における友達になってくれなかった人たちのことを恨み、こんなふうに育てたと言って親を怨み、挙句の果ては助けてくれないカウンセラーまで恨む。いいでしょう、その人が恨みを抱えて一生を送るとしても、それはその人の人生なんだ。可哀そうなのは、その人ではなく、その人から「切られた」人たちだったかもしれないのに。 

 

 僕も人間関係を「切る」ことはある。苦しい関係になってきたら、切るか距離を空けたくなる。新しい関係に入るために、古い関係を終えることだってある。しかし、もし「切る」場合には、その責任はすべて自分にかかってくるということも覚悟している。それで友達が一人減ることになっても、その責任はすべて僕が負わないといけないのだ。誰も恨むことなんてできないんだ。 

 

 ところで、京都は本当に外国人が多い。今年は特に多く感じる。今朝も出勤時、電車に乗ると、入り口のところにドカーンと大きな荷物が置いてある。中国人のだ。中国人は荷物の大きさでそれと分かる。他の外国の人に比べてもバッグが大きいのだ。爆買い目当てだからだろう。 

 京都なんて、観光都市に選ばれなければ良かったのにと僕は思う。外国や日本の他の地域にもっといい観光場所があろうというものだ。なんでよりによって京都なんだ。僕は京都なんてちっとも良いとは思わない。 

 最近、中国人の爆買いは、家電製品から薬に変ってきているそうだ。薬品を大量に購入して本国で売ろうというわけだ。もちろん、現地に行って品物を調達するというのは、昔から普通に行われていることなんだけど、なんか、中国人のは品がないという感じがしてしまう。 

 さて、家電製品から薬になって、次は何が来るだろうか。酒なんかいいかも。日本で品質が高いものと言えば、AVでもいいわけだ。「中国人観光客、○○書店でAV爆買い」などという記事が出るかもしれないな。まあ、中国人が何を爆買いしようと、僕に利益が入るわけでもないから、関係ないがね。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

関連記事

PAGE TOP