2月2日:「共同体の夢」

2月2日(水):「共同体の夢」

 不思議な感じの夢を見たので残しておこう。

(夢)「共同体の夢」
 僕は仕事へ行く途中だった。どういういきさつであったか覚えてないが、ある人と会って、その人に誘われたのだ。彼について行くと、大きな家というか施設のような建物に着いた。そこでは一つのコミュニティが形成されていて、みんなそこで生活しながら、メンバーそれぞれ自由に自分の好きな活動に従事しているという。案内されて見物していくと、なるほど、演劇をしている人たちもあれば、何かを作っている人たちもいる。ベランダの方では家庭菜園とかガーデニングとかに精を出している人たちも見える。
 その後、この施設のチーフみたいな人と僕は会うことになった。この人は僕を使いたいと言う。メンバーのメンタルヘルスの顧問になってくれと、僕は頼まれる。これだけ自由な雰囲気なのにメンタルに不調をきたす人があるのだろうかと疑問に思う。僕はあまり役に立たないからと辞退しようとしたけれど、相手も引き下がらず、なんとなく引き受けてしまうことになった。
 そしてチーフは財布を取り出すと、僕にお金を渡そうとした。僕がここで働くとなれば入用なものもあるだろうから買い揃えてよいとのこと。僕は必要があったら請求すると言って、その場でお金は受け取らなかった。ここでは何でもメンバーでシェアしていて、必要としている人にはみんなで出し合うことにしていると彼は説明する。相互扶助のシステムがしっかりできていると言う。
 僕は仕事のことを思い出す。今から職場に行って面接しなきゃ、とチーフに伝えると、その人にここに来てもらって、ここで面接すればいいじゃないかとチーフは提案する。僕はなるほど、それもいいな、となぜかそう思った。

 以上が見た夢だ。
 夢は、記録しておくのはいいけれど、むやみに解釈などしなくてもいい。見たものは見たまま保存しておくのがベストである。
 でも、まあ、少しだけ連想を書き残しておこう。
 この共同体は、映画「イージーライダー」に出てくるコミューンを思い出す。ただ、夢の方は立派な建物を有する施設の感じだけれど。
 共同体のメンバーはそれぞれ自由に活動しているけれど、この自由は共同体の内部だけのことである。外的社会とは隔絶したところでの自由だ。共同体内部は居心地のいいところであるが、世界の中で孤立している感じがする。その内部だけ平和で居心地がよく、安全であっても、それだけでは意味がないという感じがしないでもない。世界との関わりを断っての安全は意味がないし、脆い安全であるかもしれない。
 それでも僕はこの共同体に魅せられているのは確かだ。夢の中では僕はその仲間入りをしているようなものだ。良いか悪いかは別として、僕の生きる場所が変わることを意味する。
 この共同体の雰囲気が良かった。文章で表現するのが難しいんだけど、平和な雰囲気に包まれている感じだった。彼らは自分の好きなことをやっている。物を作りたければ作ればいいし、歌いたければ歌っていいし、植物を栽培したかったらそうしていいし、演劇をやりたければやればいいって感じだ。好きなことを好きなだけやるというのは子供の世界だと僕は思っている。好きなことであっても、何らかの形にして残したいと僕は思うのだけれど、彼らからはそういう感じを受けない。悪く言えばただの自己満足だけの世界なのだ。
 それでも、その自己満足でしかない活動を生き生きとやっている彼らに魅力を感じていたのも確かだ。いいなあ、などと思っていたのだ。夢が告げてくれることは、「今のお前にはそういうことができていないだろう」ってことだと僕は思っている。そして、少しぐらい彼らと一緒に過ごしてみよ、と伝えてくれているようだ。
 好きなこと、やりたいことはたくさんあれど、そういうことをする余裕がまるでない状態だ。夢はそんな僕に警鐘を鳴らしてくれているのかもしれない。

 さて、夢はほぼ毎日のように見ている。ただ、断片的だったり部分的だったりする。まとまった内容のものを見ることが少なくなった。つまり、夢を思い出す量が減ったということなのだ。
 先日も、立派なカニを買う夢を見た。ところがそれを持って帰る手段がなくて、リュックの底にカニを押し込んで歩いたのだ。カニを背負って歩いているのは僕だけだろう、となんだか恥ずかしいような気持になった場面を覚えている。ただ、その前後のことはわからない。
 いつだったか人の道案内をした夢も見た。道を尋ねられたのか、それで僕もそっちの方にいくから一緒に行きましょうということになった。振り返ると人の列が続いていて、なんだか引率のようになってしまった。そんな場面を見たのを覚えている。その他の部分は欠落している。
 友達(ということになっている)の部屋に行くと、部屋の周囲を回遊するように通路が作られていた。部屋は一つなのに、さらに中央の狭い部分に空間をつくり、そこを囲むように通路が作られているわけだけれど、その通路の両サイドにぎっしりと本が並べられている。それでも場所が足りないのか床から積み上げられている箇所もある。そこで本を選んで、部屋の中央部分で読むということなんだけれど、ものすごい蔵書に僕は驚いた。その部分だけ覚えている。

 せっかく夢を見たのに放置しておくのも勿体ない。時々はこうして取り上げることにするか。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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