2月16日(火):唯我独断的読書評~『殺人四重奏』―ミッシェル・ルブラン著
フランスもミステリが盛んな国であるが、日本に入ってくるのはごく一部だ。映画でも、ギャングものやノワール映画など、ミステリ系の映画はよく作られたが、英米の作品に比べ、日本に入ってきたものは少ない。
フランス・ミステリというのは、僕の中でもちょっと特別な位置づけがなされている。
フランス・ミステリと言えば、サスペンスフルで、トリッキーなものが多いという印象を受ける。このトリッキーさというのは、いわゆるアリバイ崩しや密室といったトリックによるものではなく、プロットと言うか、筋運びによるもので、二転三転と結末のどんでん返しが用意されているといった類のものである。しかし、時にはトリッキーすぎて内容がよく分からなかったり、複雑すぎてすぐに記憶から抜け落ちていくといったことも僕は体験する。登場人物は比較的少なく、ごく少数の登場人物の関係や言動を丹念に描写していくといった雰囲気がある。英米のミステリと比べても遜色はないが、作品の中に印象に残る場面というものが少ない。特定のシーンが記憶に残るのではなく、何となく作品全体のムードなんかが後々に残るという感じがする。僕の中にある「フランスミステリ」イメージはそんなところである。
本書『殺人四重奏』も僕のフランスミステリ・イメージにかなり沿うものだ。もし、本書を読まれる機会があれば、最後まで一読した後に、もう一度第1章に戻ってほしい。
第1章は、映画監督ウイリィ、シナリオライターのミッシェル、女優のフレデリックが新作映画のシナリオを討議している場面から始まる。そこに、主演女優のシルヴィ―が死んだという報告が入る。報告したのは、シナリオライターにしてシルヴィ―の隣人ジャンだった。
ここに被害者とそれを取り巻く4人の主要人物が顔を揃えることになる。よくできた冒頭だと思う。以下、物語はこの4人と被害者を巡って展開される。
第2章では、この事件を担当することになったトゥッサン警部の登場となるが、彼が事件を引き受けるや、すぐにシルヴィ―を殺したのは自分だと自白した人物が現れる。映画監督のウイリィだった。第3章では、ウイリィがシルヴィ―と出会い、彼女を殺すまでの経緯が語られる。
ここはすでにミステリの定石を破っている部分だ。殺人事件の具体的な状況が語られないまま犯人の自白が挿入される。
ウイリィの自白を聴いて、警部は腑に落ちない思いをする。その矢先に、シルヴィ―を殺したのは自分だと、新たに名乗り出る人物があった。女優のフレデリックだった。彼女はシルヴィ―と出会い、彼女を殺すまでの経緯を綴る。
一つの殺人事件に二人の犯人が自供したのだが、双方の話には食い違う箇所がある上に、現実の状況とまったく相いれないものだった。
続いて、三人目の証言者としてシナリオライターのミッシェルの取り調べとなる。ここで事件が解決するのかと思いきや、四人目の証人として隣人のジャンが語り、不穏なラストを迎える。
日本語タイトルの『殺人四重奏』とはなかなかいいネーミングである。証人や供述者が現れるほどに事件とその真実の色相が異なってくる。読者は煙にまかれる思いがする。また、個々のエピソードはそれ自体で短編小説のように読むこともできるし、一つ一つの話がまた面白い。
ただ、証人の一人は妄想性の精神病に罹患しており、この供述は妄想が含まれているという説明は、うーむ、フェアかアンフェアか、悩むところである。
謎解きよりも、テンポの良さとかストーリー展開にキレがある感じがして、そちらの方に魅力を感じる。独断的評価は4つ星半というところか。
・テキスト
『殺人四重奏』(Pleins feux sur Sylvie)(1956)ミッシェル・ルブラン 著
鈴木豊 訳 創元推理文庫
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)