2月16日:キャンセルされたクライアント

2月16日(木)キャンセルをされたクライアント

 

 今日はもう一つ書いておきたいことがあるので、同じ日付で二本立てみたいになってしまうことを許していただきたい。

 先週、来談されたクライアントが次回分をキャンセルされた。それは仕方がない。しかし、僕は前回の面接で煮え切らない態度を取ってしまったことを悔やんでいる。煮え切らない態度になったのは、僕がうまく掴めていない所や疑問を感じている箇所が多々あったためである。僕は考える時間が欲しかった。せめてそれをその人に伝えて、次回に望んだ方が良かったかもしれない。

 この回のブログは、他の人たちには意味が分からなくとも、そのクライアントにだけ意味が通じればいいものである。僕は、できれば次回お会いした時に、話し合いたいと思っていたことがある。その機会も得られそうにないので、僕はここにこうして書くのだ。

 その人は僕にある要求をしてきた。その要求を僕がそのまま受け入れたら、こういうことにはならなかったかもしれない。でも僕はそれに対して躊躇してしまったのだ。なぜ、躊躇してしまったのか、僕には初めのうちは自分でもよく分からなかった。何か虫の知らせのようなものだった。

 僕が躊躇したのは、次の点が不明瞭だったからだ。クライアントには親があり、同胞(兄弟姉妹)がいるのだが、クライアントが彼らにどれだけ巻き込まれてしっているのかがはっきり見えなかったからである。

 クライアントは夫婦二人で現在生活を営んでおり、親や同胞とは同居していない。そして、この夫婦生活はそれなりに維持されているようだ。僕の個人的な感情として、そのが親や同胞に巻き込まれてしまい、この夫婦生活の領域に彼らを踏み込ませたくないという気持ちが生じたのだ。

 今の所、この夫婦生活がうまく行っているようだから(実際はどうか分からないのだけど)、ここに親や同胞が踏み込んできて、荒らして欲しくないという気持ちだったのだ。僕の逆転移だったのだが、その親や同胞がどうあれ、僕はそのクライアントがとにかく幸せに生きて欲しいと願っていたのだ。だからクライアントに、親や同胞のことであまりに巻き込まれ過ぎてしまうことを防ぎたかったのだ。

 クライアントが僕にしてきた要求をそのまま応じると、今以上にクライアントが彼らに巻き込まれていってしまいそうに思われてしまったのだ。そして、これまでのクライアントの話から、その人の家族はお互いに巻き込みあう関係を築いてしまう傾向があるように僕は理解していた。

 お互いに巻き込みあうというのは、一人の抱える「問題」が処理されるために他の一人を巻き込み、巻き込まれた方は自分の問題を別の誰かを巻き込んで処理するというような関係である。つまり、全員が幸せにならない関係である。常に一人の幸福は他の誰かの犠牲の上に成り立つような関係だったのだ。僕にはそのように理解されていたのだ。

 従って、この関係に入り込んでしまうことは、クライアントにとって望ましくないことなのだ。だから、クライアントには、親や同胞に働きかけるよりも、彼らに巻き込まれないように、今の自分の生活を守って欲しいということを、僕は考えていたのだ。きちんと僕が説明できずに終わったので、前回の面接は不完全で消化不良のように体験されたかもしれない。それに僕の感情が先走り過ぎたので、厳しい面接だったように体験されてしまったかもしれない。僕の方に不手際や不行き届きな点があったことは否めないのだけど、僕が述べたいと今でも思うことはそこなのだ。

親や同胞に分かって欲しいとか気づいてほしいとか、あるいは動いて欲しいとか、そのが望むとすれば、そのはすでに巻き込まれてしまっているのかもしれない。その人が巻き込まれると、その人は揺れ動かされて、不安定な状態に陥ってしまう危険性がある。そして、そのことはその人が何とか抜け出した以前の境地に、再び舞い戻ることになってしまうかもしれない。その人はそこで、苦しかった子供時代を再び繰り返してしまうかもしれない。そうなることは、僕には望ましいこととは思えない。

僕が望むのは、その人が過去の方向へ向かうことではなく、その人の今現在を守って欲しいということだったのだ。そのが、これを読んで、少しでも僕が考えたことや感じたことを理解してくれれば、僕は嬉しく思う。

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー

 

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