2月16日(水):「夜道を一緒に歩く夢」
昨夜は十分に睡眠を取ったので、夢もじっくり見ることができた。見た夢を記しておこう。
(夢)「夜道を一緒に歩く夢」
僕はあるところからの帰宅途中だった。仕事か何かからの帰りだったようだ。風景からして夜の遅い時間のようだった。
僕は夜道を歩いている。街中の風景である。家まではまだまだ距離があるなと思いながら歩いていた。家までの道は分かっていたので、道に迷うとかいった心配はなく、ただ相当歩かないといけないなということだけは感じていた。
倉庫のような場所を通り過ぎる。僕が歩いていると、割と近い距離で事故がおきた。荷物を積んだ台車どうしが衝突したのだ。僕は立ち止まってその光景を眺めた。台車の荷物が散乱していた。僕は手伝おうかとも思ったけれど、彼らのことであるし、彼らがなんとかするだろうと思い、また歩き始める。振り返ると、彼らはもめたりすることなく、仲良く荷物を積み直しているようだった。
歩いていると、堤防沿いのような道になる。道路の中央に柵が立ててある。進入禁止なのだろう。僕はその柵を迂回する。その時、友達と出会った。昔の友達である。彼が一緒に行こうかと言ってくれる。僕は、ありがたいとは思ったけれど、断った。まだ道のりがあるし、長い距離を彼に付き合ってもらうことに悪い気がしたからだ。
しかし、途中までは僕たちは一緒に並んで歩いた。多少の言葉も交わしたように思う。
以上が僕の見た夢だ。でも、これは全体の一部という感じがしている。もっと多くを見たように思うのだけれど、どうも思い出せない。
さて、夢だけれど、夢にはその人らしさというものが如実に現れる。同じ内容の夢を見た二人がいるとしても、双方にその人らしさが現れるのである。だから、その人のことを知ると、その人の見る夢を「なるほど」と思うことも多々ある。やはりその人らしい夢を見るのである。
僕もまたそうだ。この夢を見て、「ああ、確かに僕はこういうことをするな」と改めて思い至る。最初は積み荷をひっくり返した二人だ。僕は手伝おうかと思うのだけれど、彼らだけでなんとかなりそうだということで素通りする。普段から僕はこういうことをする。困っている人がいても、彼らだけでなんとかなりそうだったら、僕は出て行かないことにしている。僕が下手にでしゃばると事態を引っ搔き回してしまうと思うからだ。手が足りていそうなら手助けはしないと、そう決めている。
また、友達が同行しようと申し出ているのを、それは悪いからと言って断るのも僕らしい。自分に付き合ってくれるのは嬉しいのであるが、あまり長時間つき合わせることには申し訳ない気持ちが先立ってしまう。
しかし、夢がわざわざこの光景を僕に見せてくれるということは、多少は人助けをして回り道をしても、多少は友達につきあってもらっても、それでもいいのではないかと伝えようとしているのかも。目的(夢では家に帰ること)だけに囚われてもいけないと、そのようなメッセージを送ってくれているのかもしれない。
あるいは、夢はもっとわき目もふらずに目的に突き進めと言ってくれているのかもしれない。どちらがより正しいかは、夢の結末で決まると僕は思うのだけれど、いかんせん、結末が分からないのだ。家に帰宅したのかどうか、そこが分からないのでなんとも言えなくなってしまう。
家に帰るとはどういうことか。字義通りに受け取ってもいいだろうし、原点回帰と解釈することも可能だ。夢に登場する友達は、僕が小学校一年生の時に初めてできた友達のようだった。それ以前の友達はほとんど印象にのこっていない。だからその人のことは僕には最初の友達のような感覚があるのだけれど、そういう人が夢に出てきたわけで、ここにも原点を見る思いがしている。
こういう解釈は僕の恣意的なものであることは否めない。僕自身が原点回帰したいと願っているので、その願望に沿った解釈をしているかもしれない。それでも構わない。自分の夢を解釈する分には罪はない。僕は僕が正しいと信じているところのものを実現していきたいと思っている。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)